ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

ロウソク

80×365=29200

人生を仮に80年としたら何日間生きることにになるのか?
29200日という計算です。

仮に一日を一本のロウソクに例えると、
45歳の僕のろうそくは半分以上燃え尽きたことになる。

しかし面白いのは一本一本のロウソクは決して同じ大きさや形をしていないということです。過去の燃え尽きたロウソクもいろいろある。
燃え尽きてもどういうロウソクだったかは宇宙に刻まれている。
だから一つ一つのローソクがどう燃えたのかということはちゃんと記憶の底にしまわれるのです。

太いのやら大きいのやらどこかで誰かのロウソクにつながっているのやらいろいろです。一本のローソクが燃え尽きた瞬間、次のローソクに灯がともる。ロウソクは燃え尽きても火は継承されるようです。

素晴らしい仕組みですね。

今日という日のロウソクは燃え尽きてみないとどんなロウソクだったかわかりません。

一本一本のローソクを大事にしたいです。

心を支えるもの

私は落ち込むことはありません。
落ち込むという感覚がある時期を境にうまく掴めなくなってしまったのです。

私も人間ですから、悩むこともあれば不安を感じることもありますが、
それを引きずるということが無いのです。

たまには落ち込んでみて、誰かに優しい言葉の一つもかけてもらいたいという、さもしい欲望が芽生えないでも無いのですが、落ち込めない身としてはそれも儚い夢なのです。

何故落ち込まないのか?
私の身体がそれを許さないからです。

いつからそうなったのか?
2001年の晩秋からです。

2001年10月12日に当時住んでいた家が火事で燃えました。
真っ昼間。
外出中の火事。
原因不明。

10日間程は知り合いの家にお世話になりました。
そのあと、僕たちのような「被災者」のために市が確保していた市営住宅に移り、そこに半年間住んでいました。

その市営住宅に住み始めてひと月程経った頃、
朝、突然死にたくなりました。
不安とか心配とかというのではなく、
文字通り「死にたい」という激しい衝動に襲われたのです。

いても立ってもいられなくなり、僕は車で出かけました。
「死に場所、死に場所」と心の中で繰り返していました。

ぐるぐる回って、湘南平から平塚方面に一号線を使って出ようとした辺で、強烈な便意を伴う腹痛に見舞われました。

それはそれまで生きて来た中で経験したことの無いほどの激痛でした。
反射的に身体が折れ曲がります。
危なくて仕方がありません。
運悪く渋滞でトイレを探すことが出来ません。
運転することも出来なくなって来ました。
一刻の猶予もないという状態です。

その時、激痛のピークに抗うように僕はこらえました。

ダンプカーに下敷きになった我が子を助け出そうと車体を持ち上げるくらいの力を込めて肛門を締め上げたのです。

僕は堪えきりました。

すると不思議なことにあの激痛も、「死にたい」という強力な衝動も嘘のように消えてしまっていたのです。

その時自分の身体が大きく変化したのに気づきました。
身体というより身体感覚といった方がいいのかも知れません。

下腹部に鉛のようにずっしりとした充実感が生まれていたのです。

その「充実感」今でもどんどん育っています。
「肚が出来る」とはこういうことなのかと思ったりします。

あの時の「技」を僕は密かにGERIGAMANと名付けています(笑)

それ以来僕が悟ったことは、心を心で支えようとしても無理だということです。

それは水を飲むために水でコップを作ろうとするのに等しい行為です。

僕はあの時、まさに全身全霊、髪の毛一本一本の先までを肛門を締め上げるのに使いました。まさに身体の全体運用です。

それは死への衝動も吹き飛ばしたのです。

僕はそれからいろいろ体験する中、身体の全体運用を前提とした暮らし方、働き方を考えるべきなのだと考えるようになりました。

不安を不安がったり、悩むこと自体を悩んだりする必要はありません。
問うべきことは「自分は今全力発揮しているか」ということだけです。

僕は最近、働き方について考えています。
今の働き方を根本的に変えて行けないかな?
そんな仕事を生み出せないかな?
生理が遅れないような働き方。
身体はきつくても夜寝れば朝には回復するように身体を育てられる働き方。

心を支えるものは身体です。
身体の使い方に注目するだけでいろいろ動いてくると思うのです。

真荷舟台北ライヴ映像

真荷舟は榎田竜路(vo,g)阿部拓也(ds,perc)のツーピースバンドです。
去る1月23日に台北のライヴハウス「河岸留言」での演奏の映像をご紹介。
やっぱり海外での演奏も楽しいですね。

Baba Bandのドラマーである陽明をパーカッションとしてフィーチャーした

「What a shinning day」


次はキーボードの裕翔もフィーチャーした出来立てほやほやの新曲

「Beautiful」


最後は馬場氏も登場。彼のダンス?にご注目ください(笑)

「Jungle Wild Spirits」


ちなみに真荷舟のYoutubeは「manitube
リニューアルした真荷舟のサイト

強権発動より感覚発動

昨今、検察と記者クラブの癒着や特捜部の暴走といった話題が巷間を騒がしております。

要は「これはこれ、それはそれ」ということを一番のプライオリティーにせず、「雰囲気だけを作り上げて貶めようとする行為は例え相手が誰であれ、やってはいけないよね」という至極当然な原理を「一個人と比べてはるかに強い力を持っている国家権力やマスメディアが守らなければ、ご先祖様に申し訳が立たないでしょう」ということについてのお話と私は思っております。

さて話は変わって、面白い経験をしたので、ちょっとご報告と考察を述べさせていただきます。

先日、日本初のTシャツメーカーとして有名な久米繊維工業株式会社さんの工場に行ってきました。「日本でしか作り得ないTシャツ」ということを社長や社員の人が言っているので、それはどういうことなのかというのを取材しに行きました。

工場というと皆さんどんなイメージ持ちますか?

僕は大昔ピザの工場でバイトしたことがあったのですが、その体験は悲惨でした。機械と「同列」の役割で流れ作業の一部になるのは僕にとって非常に苦痛だったのを思い出します。時計ばっかりみてたもんな(笑)

今ならあの苦痛の原因が分かります。あれは人間の自然のリズムを無視して工程が組まれていたのです。つまり機械優先ということね。

で久米さんのところの工場はどうだったかというとこれが凄かった!!

縫製を主体とした千葉工場と プリントを主体とした埼玉工場に連れて行ってもらったのですが、

まず千葉工場。

迫力ある広い年齢層のお姉様方が数十名お仕事をされていました。
しかしその姿が美しい!!

裁断機やミシンといった機械が彼女達の道具と化していたのです。
文字どおり機械達は彼女達の手足のように働いておりました。

あと、工程が人のリズムに合うように作られていました。
これを実は驚異的です。何故かというとこれは人間工学からなぞは生まれ得るはずも無いことだからです。

つまり人の感覚が一番発揮されるように工程が組まれているのです。
これを経験から個人で組上げたのなら天才です。

実は先日、稽古場に行って僕の師匠である野口裕之先生に久米さんの工場のことを話しました。

先生は僕の話を聞いてすぐに理解をしてくださいました。


「榎田君、それはね、その人たちが一工程づつ動いているのではなくて、『一息』でいくつかの工程をまとめているからなんだよ」
「それが技と呼ばれるものの原型なんだよ」
「技には人間の自然に根ざした美しさがあるんだよ」

という風に目から鱗のお話をいただきました。

僕の印象では、機械が道具になっている。
つまり身体の延長として人の細やかな意思の発現として使われている。
機械に人が追われていない、むしろ人が機械を追っている。
ということがありました。

一息で動くということを具体的に言うと、
例えばお茶を飲むという動作は、

手を伸ばす。
茶碗を掴む。
それをこぼさないように口元まで持ってくる。
熱さを確かめながら茶を啜る。
飲み込む。
茶碗を戻す。
息をつく。

といういくつかの「工程」に分けられると思います。

しかしこの一連の動きを「一息」以上でこなすと、美しさが現れません。
行儀が悪い、ということになってしまいます。


この「一息の美」の感覚を日本人は大事に育てて来たのです。
「粋」という言葉もそこに通じるのだと思います。

「そんなことぐらい一息でやれねえようじゃ駄目」
という感覚は今もどこかに根付いているはずです。

僕はその工場に行ってみて、まさにこれは「日本でしかつくりえないTシャツ」だと実感いたしました。

そしてプリント担当の埼玉の工場に行ったさらなる驚きが待ってました。

あれは工場ではありません。
工房です。

もちろん機械はあるし、ある種の流れ作業ではあるのですが、シルクスクリーンで一枚一枚手で刷ってるんですよ!!!

同じ位置に同じ色合いで刷ることの大変さ想像つくでしょう!!

「機械で刷らないんですか?」と工場長に聞いてみると、
「機械でもやれないことは無いんだけど速乾性のインク(つまり油性)を使わなくちゃいけなくなって、後でシンナーとかも必要になって、環境に負荷がかかるし、何より肌に直接触れるものだから、水性のものでやってるんですよ」というお返事。

私は感動しました。
本当に感動しました。

これは日本でしか作り得ないTシャツだわ。。本当に。。

墨田に本拠を置く久米繊維工業の心意気と業態はまさに「江戸の粋」というものにふさわしいものでした。

忘れていけないのは現場の人の言葉。
「楽しいですよ」
「もっともっと上達したい」

一息の中に身をまとめる仕事。
こういう仕事を生み出せば、そしてそれが回っていけば、これに勝る幸せないのかも。

感覚発動の方が人を幸せな気分にするというお話でした。

血祭りの効用

誰かを血祭りにあげて、視聴率や販売部数のアップを図るというビジネスモデルを変えない限り、マスメディアに未来はない。「何千人か死なないと記事に出来ない」という構造ではメディアの意味が無い。


大きな企業に勤めている女の子たち。
忙しすぎて彼氏も出来ない。
不倫も出来ない。
恋に落ちる気分が萎えてる。
生理もいつも遅れがち。
何となく気分が優れない毎日。

「会社やめちゃおうかな?」
といつも思っている。

仕事に夢中になれない。
だけどそれは自分が甘いせいだと思い込もうとしている。

誰かに相談してみる。
「せっかくいい会社に入ったのに何言ってるの?」
「しばらく我慢してみたら」
「このご時世に、そういい仕事なんてあるわけない」

私は思うのです。
誰が決めたんだそんなこと。
要は本人が幸福感を持って日々生きていけるかということに尽きると。

仕事は無数にあると思う。
もしやりたいことが無ければ自分で仕事を作ればいい。

日本だけでもいろんな場所があって、美しいところがいっぱいあるよ。
あなたが夢中になれるようなものがきっとあると思う。

そのためには一にも二にも感性を磨くこと。
それは日々の身体の使い方を丁寧にしてみることで身に付きます。
これは体力をつけるということでも意味があります。

自分を大事に扱って欲しい。
自分を一番大事に扱えるのは自分だけです。
もし自分と同じくらい、もしくはそれ以上に大事に扱える人がいたら、それはあなたにとって大切な人になるでしょう。

そして現実的な力を養うこと。
例えば、ある地方で起業家を生み出すビジネスを起こしたいと思ったら、そのことを周辺情報も含めて広く学ぶ必要があります。

いろいろな人、出来れば信頼出来る大人たちとのネットワークを持つこと。
彼らは様々な面でアドバイスや助力を惜しみません。

そして、そのネットワークを自分のためだけに使わずに、友達とか他の誰かと共有させてみる。自分自身が世代や地域や業種といったものを超えたコニュニケーションを生み出すメディアとなるくらいの気持ちでやってみる。

するとアーラ不思議、資産がどんどん殖えて来ちゃうのですね。
自分が結構必要とされる場面があることにびっくりしたりとかね。

なんと言ってもつながりでございますよ。
人とつながりにくいと感じてる人は家にいらっしゃい。
わたしは人というより「ケダモノ」と思われていますからね(笑)

今までのマスメディアは私達の生活を豊かにするための情報を流してこなかった。(もちろん割合は少ないけどもそうでないものもあります)

電車の中にある中刷り広告から何か有益な情報を得られますか?
最近の「血祭り情報」についてのお知らせがあるだけです。

でもどうですか?
そろそろ血祭りにも飽きたでしょう?
違いますか?
「売る」ために装飾された情報ではなく、
もっと自分にとって必要な情報が欲しいと思いませんか?


血祭りに飽きることが血祭りの唯一の効用です。


情報は自分を豊かにするために使いましょう。
「豊か」というのはこの場合、「豊かな感覚」のことをいいます。
豊かな感覚を持って生きることが幸せだと僕は信じるからです。

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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
気がついたらこの星の上にいました。
音楽作ったり演奏したり、映画を作ったり、森をつくったりといろいろやっております。

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