
数年前に、友人(演出家)に頼まれてあるワークショップの賄いを手伝ったことがある。
この友人はその当時、古い民家を改造したスペースでいろいろなことをやっていた。そこは宿泊も出来るスペースで、時々ワークショップや合宿にも貸し出していた。
僕が頼まれたのは「あなたの天職を探しましょう」という趣旨のワークショップだった。「トランスパーソナル心理学等を応用し、あなたの隠れた才能と適性を知る」というような内容のものだったと記憶している。
参加者はスタッフを入れると30人程だったろうか、僕は料理はやるけど、そんなに大勢の人たちの食事を作ったことがないので最初不安だった。しかしさすがにこの友人は慣れていて、メニューも材料も手順もあらかじめ用意されていたので、案外二人でもやれてしまえた。
僕と友人は演劇で何度も一緒にやっているので気心は知れている。キッチンの中は無言で着々と料理が進行している。お互い以心伝心で、僕が鍋をおろすと友人が鍋敷きをさっと出し、友人の両手が塞がっている時に僕が水道の蛇口をひねるといったような具合だ。なんか音楽のセッションしているようなある種のグルーブ感というか、流れというか、そんな感じのものがキッチンに生まれてきた。
この「集中の世界」に入ると、余計なことを考えたりやったりしなくなる。
ただぴったりと何かに合わさって生きているというような感じ。
何をやっても、この「集中の世界」に入れば同じだ。
そうこうしているうちに参加者が到着した。
友人は挨拶と案内に出たが僕は一人で作業を続けた。
間もなく友人が戻り、夕食の準備が整った。
僕も友人と一緒にワークショップの参加者と一緒に食事をした。その時に面白いことが起きた。
参加者はそれぞれの「天職」を追い求めている。
午後のワークが終わって、参加者は新たに知った自分の隠れた要求や可能性についてにぎやかに話している。今の自分は「本当に向いている仕事」に就いていないというのが参加者達の一致した意見だ。出来ればこのワークショップで、「本当に向いている仕事」を見つけたいというのがこれまた共通した願望のようだ。
僕と友人はすみの方で食事をとっていたのだが、ワークショップの主催者が僕の友人に挨拶を求めた。友人は立ち上がり参加者に向って歓迎の言葉を述べた。それから流れで、今日の食事を一緒につくった僕を紹介した。
友人は僕が音楽家であること、映画や演劇や映像や舞踏などに楽曲や演奏を提供していることなどを演出家らしく、まさに演出して(大げさに)話した。
その瞬間、参加者の僕に対する態度が一変した。
それまでは賄いの手伝いに来ている「ただの人」だったのが、実は「天職保有者」(こんな言葉ないか。。)だったのだ。
その変化は少なからず僕を困惑させた。
その困惑は参加者の一人の「えーっ、音楽家に料理なんかさせて悪い!」という一言でピークに達した。
僕は料理を作ることと音楽することに「地位」の違いを見いだせない。
彼らは「天職」という言葉を「仕事の種類」と捉えているようだ。
じゃぁ、天職っていったい何なんだ?
もし誰かが「あなたの天職はなんですか?」と僕に質問したら、僕はこう答える。
「今やっていること」
僕は2001年の自宅の火事のあと、すっかり「価値観」が変わってしまったらしい。家も仕事道具である楽器もコンピューターも突然消えてしまったので、今までのやり方では一日も暮らせない。自分の意志でどうにもならない流れにのってしまったのだ。
しかし、そのおかげで僕は人の作った価値観に引きずられる生き方から脱却出来た。着るものも、火事の後助けてくれた人たちからいただいたものだからサイズが多少合わなくても、また似合わなくてもありがたかったし、食器だってばらばらだし、布団もばらばらだった。
それでも家族全員無事で生き延びたという喜びにいつも満たされていた。
ものに不自由して初めて「豊かさ」と出会えた。
僕達は完全に流れに身を任せる生き方にシフトした。それしか方法がなかったのだ。「来るもの拒まず」で生きて来たら、とにかく今日まで生き延びることが出来た。
このプロセスで、僕達は「何を」やっているかより「いかに」やっているかの方がはるかに重要だということに気づいた。
もちろん「何を」するかは重要だ。しかし「何を」に執着している時は知らずに人の作った価値観に踊らされている場合が多い。
「いかに」に集中することは自分の力をのばすことにつながるので、自然に自分の力に見合った「何を」がやってくるようになる。僕はこれを経験しました。
「今やっていること」以外に人生におけるその時間を生きる方法はない。
僕達には時間制限があるのだから大事にしたいと思う。