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ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

意識が変わる時(2)

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ある人に殺意を持つ程怒り狂ったことがあった。

何故そんなに怒っていたのかという理由は言えないけど、
その時、僕は血がどす黒くなるくらい怒り狂っていた。

僕は滅多に怒らない。
しかし「薩摩」と「天草」のハイブリッドなので、一旦怒ると手がつけられない。

その時僕は自分を見失う程の怒りに苛まれながら街を歩いていた。一歩歩みを進めるごとに新たな怒りがわいてくる。

僕は自分をどうすることも出来ずに街を歩いていた。

と、ある交差点の信号で立ち止まった時、向こうから右折して来た車があった。

その車に乗っていた一人の女の子が満面の笑顔で僕に手を振っていた。

その笑顔の素晴らしいことといったらなかった!!

その笑顔は僕に「生きてるって本当に素晴らしいよね」と伝えてくれていた。

僕は思わず彼女に手をふりかえした。
強く、強く手を振って彼女を見送った。
いつの間にか信号は変わり、僕だけが交差点に取り残された。

気がつくと、僕は満面の笑顔で赤信号の横断歩道の前にいた。
「あれっ、さっき確かものすごく怒っていたよなs。」

僕の中から怒りはみじんも消え、さわやかな生の喜びだけが湧きたての泉のようにこみ上げていた。

どんなに思い出してもあの怒りは思い出せない。。
「いったい何が起こったのか?」

「怒りなんて大したもんじゃないよ! もっと生命を楽しもう!!」

天使の存在をその時から僕は信じるようになった。
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意識が変わる時(1)

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価値感が突然変わってしまうことがある。

10年ほど前、ミッシャ・メンゲルベルグというピアニストの演奏を見に行った。

彼はヨーロッパ・フリー・ジャズ界の中心的存在として独自の世界を切り開いてきた高名なアーティストなのだが、当時の僕はその名前さえ知らず、ただ「有名なジャズピアニスト」らしいというので、友人に誘われるままなんとなく出かけていったのだった。

会場に到着して驚いた。

そこは普段は障害者の人たちの作業所として使われている場所で、当時の僕の持っていたコンサート会場のイメージとは大きくかけ離れた場所だった。
しかも演奏が行われる場所はその施設にある食堂で、使用するピアノは近所の人から借りてきたアップライトピアノだという。

そしてその「食堂」に入ってさらに驚いた。

観客のほとんどが重度の障害を持つ人達で、彼らの出す嬌声やうめき声、そして彼らに取り付けられた機械の出す音はかなりのもので、「音楽鑑賞」にふさわしい場所とは言いがたかった。

「本当にここでやるの?」
何かの間違いではないかと思いたいのだが、目の前には近所から運ばれてきたというアップライトピアノが置かれている。

そしてミッシャがやってきた。

彼は会場の状況に驚く風もなく、我々に会釈すると演奏体制に入った。
それから起こったことを僕は一生忘れないだろう。

最初の一音がなると会場が一変した。
今まで騒音にしか聞こえなかった音達はミッシャの奏でる音と不可分のものとなり、その場にあるすべての音はかけがえのない生命の奏でる聖なる音としてその真の姿を現しはじめた。うめき声は歌声に変わり、ひっきりなしに動く機械の音は通奏音を奏でる楽器に変わった。そこにあるすべての音が生き生きとした魂を持っていた。すべてが見事に関係し調和している。

いったい何が起こったのだろうか?
驚きと喜びと興奮に包まれながら、僕は新しい地平が静かに開かれていくのを眺めていた。

「音楽はこう聴くもの」「音楽はこういうもの」と無意識に了解して来たものはもろくも崩れ、しかもとても嬉しいという非常に不思議な感覚に包まれたことを思い出す。

それから時々街の音達がアンサンブルとして聞こえてくることがある。それはもちろんメロディーもリズムも持たないものだけど僕には明確に「音楽」として聞こえるのだ。

この経験はもちろん音楽に対する感覚だけを変えたのではなかった。
それは時間をかけながら今も僕を前に進める流れの源となっている。

Enjoy !

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ある駅の階段を上りきったところで、外国人の中学生くらいの女の子が歩いている人達に「Enjoy !」と呼びかけていた。
ほとんどの人は無視して通り過ぎていく。
それは彼女を無視するというより「Enjoy」するということから顔を背けているという風に僕には見えた(思い込みだろうけど)。

ある時、街を娘と歩いていたら娘が突然「お父さん見て!お空がきれい!!」と言って空を指差した。本当に綺麗な夕焼け空で、思わず二人立ち止まって見入ってしまった。ふと気がつくと空を見上げているのは僕たちだけで、他の人たちは速度を緩めることもなく黙々と歩きすぎてく。僕たち二人は急流に洗われる岩のようだった(これも思い込みだと思うけど)

ずいぶん前にあるイベントで演奏した時のこと。
こういう不特定多数の人が集まる日本のイベントではありがちだが、お客さんの反応がない。僕達の実力がなかったと言われればそれまでだが、ちょっとそういうのとは違う感じがする。

演奏の途中から僕は、お客さんたちが羊に見えてきた。
もぐもぐもぐもぐ草を食みながらこちらを見ている羊たち。

以前カナダのジャズフェスティバルで演奏した時にはまるで違っていた。
空港に迎えにきてくれた人はボランティアの高校の先生だった。彼女は日本の1BOXカーの倍ぐらいある車を運転しながらいろいろな質問をしてきた。彼女は(彼女だけでなく出会った他のスタッフみんな)本当に楽しんでリラックスしているように見えた。車を降りる時、彼女はこう言った。

「Enjoy !」

演奏会場の雰囲気も日本とは大きく異なる感じがした。
確かに音楽好きの人たちが集まっているのだろうけど、積極的に楽しもうという姿勢がはっきり現れていた。
ましてその時は完全即興演奏だったので、はっきり言って踊るとかそういった音楽じゃない。どんな演奏になるのか誰にも分からない。
にもかかわらず、最後は会場中大盛り上がりになってしまった。

演奏を通じて、それぞれの人生の同じ時間を共有し、Enjoy出来たことが嬉しかった。

このカナダでの経験は大きい。

日本では楽しみ方が指示され「楽しんでよし」と許可がでない限り楽しめないような感じがする。これは何故だろう?

僕は時々、子供たちに即興演奏のワークショップをやっているのだが、ワークショップをやっていて小学三年生以上に言ってはならない禁句があることにある時気づいた。

「自由にやってごらん」

自由にやってと言うと必ずと言っていい程子供たちは周りをきょろきょろし始める。誰かの許可を求めるように。。

学校で何かが起こる。何かがなされる。

学校では「まだ足りないもっと成績を上げろ、もっと順位を上げろ」と言われ続ける。これが繰り返されると自分は不完全で不十分な存在という観念が植え付けられる。少なくとも僕の場合はそうだった。

なんでそのままで全然OK !!!と言ってあげないんだろう。

まず子供たちに教えるべきことはEnjoyしてもいいんだよということなのかもしれない。

あっ、大人の方が先か(笑)

ハカリシレナイヨロコビ

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愛ってなんだろう?

僕ってなんだろう?

君ってなんだろう?

生まれて、生きて死んで。

生きて、死んで生まれて

死んで、生まれて生きて。

始まりはあるのだろうか?

終わりはあるのだろうか?

意味はあるのだろうか?

生まれて、生きて死んで。

生きて、死んで生まれて

死んで、生まれて生きて。

ただ感じることは、

今、僕がここにいることのハカリシレナイヨロコビ

 以前、不思議な夢をみた。夢だったのかなんだったのかよく分らない。全てが障子を通して差し込む光りのように柔らかく、その光は鈴のなるような音を発っしている、その鈴のような音が僕に何か語りかけているような気がした。

 耳を澄ますと、「アナタガソンザイスルトイウソノハカリシレナイヨロコビヲシリナサイ」といってる。

 言葉としてそう聴こえたわけじゃなく、ただ、そう伝わってきたとしか言い様がないのだけど。。。

 人はいつか死ね。なのに戦争やなんかをして、死に急ぐ。どこかの大統領もいつか老いて死ぬ。なのに沢山の人を巻き込んで、死に急がせたりする。

 僕は身体の具合が悪かった頃、よく死ぬことを考えた。
だんだん身体がいうことを聞かなくなってきて、少しづつ死んでいくのが分る。
死んだらソンザイしなくなるのか?そんなことばかり考えていた。


 考えても答えのでようのないことなのだが、ちょうどその頃にさっきの「ユメ」のような体験をした。あの「ユメ」は何か僕にとって大切なメッセージを与えてくれたようだ。

 それは時間をかけて僕になっていった。

 死ぬことと向き合うと、何をすべきかはわからなくとも、何をするべきではないかはわかる。

 人生はそれでほとんど事足りる。

登竜門

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 母が、僕を産む時に見た夢の話。

 その当時、父の仕事の関係で、僕達(母のお腹の中にいた僕も含めた家族)は福岡にいた。僕の父は送電線工事の仕事をやっていて、母がそれを手伝っていた。母の仕事は今では考えられないぐらいの重労働で、父の会社の人の炊事や洗濯等を1人でまかなっていた。

 当時の送電線の工事は、山の中の現場が多くて、当然、宿舎も山の中になる。水道等当然なかったそうだ。だから母は、下の川まで水を汲みに行かなければならなかった。50人分の炊事と洗濯に一体どれくらいの水が必要なのか分らないが、一日のほとんどを水汲みに費やしたそうだ。

 僕は一人っ子だ。しかし母は僕を産む前に3人流産している。それだけの重労働を課せられたらそうなるだろう。僕を身ごもった時、医者は「無事には産めない」と言ったそうだ。もし産んだら生命の保証は出来ないと言う。生命の保証など、誰にも出来ないことなのだが、医者とはそういうものらしい。

 しかし、母は僕を産んでくれた。それに僕が死んでもおかしくない目にあってもなかなか死なないのは3人分の生命をもらっているからだと僕は信じている。

 もうまもなく産まれるという日に、母は僕の父に「今日はちゃんと帰ってきて欲しい」と頼んだらしい。父は帰って来ると約束したのだが、運悪く緊急の工事が入り、約束を果せなかった。

 怒った母はこともあろうに酒をあおり(母はお酒が全く飲めない)酔っぱらって寝てしまった。よほど腹を立てたのだろう。

その時に不思議な夢を見たのだ。

 白黒の世界に霧のようなものが視界いっぱいに広がっている。すると遠くで低く音がする。その音のする方に進んでいくと霧が晴れて、巨大な滝が現われた。滝の上の方は雲に隠れて見えない。一体どれくらいの高さなのか検討もつかない。地響きを立てながら大量の水が落ちて来る。

 ふと気付くと、一匹の鯉がその滝を昇ろうとしているのが目に入った。その鯉が何度も何度も滝を昇ろうとするのだが、その度に滝つぼに叩き付けられる。だんだんと鯉は傷付き、骨が見えるほどボロボロになってきてしまった。  

 母は心の中で「もう止めろ!死んでしまうぞ!」と叫ぶのだが、その鯉は滝を昇るのをやめようとしない。

 しかし、しばらくするとどうした拍子か、その鯉はスルスルと滝を昇っていき、途中から巨大な竜に変じて、空に向かって飛んでいってしまった。

 しばし呆然とする母。気がつくと布団の上に起き上がっていた。「産まれる。男の子だ!」そう直感し、産婆さんの所に歩いていったのだそうだ。そうして産まれたのが僕。だから名前を「竜路」とつけられた。

 僕はこの名前を気に入っている。

愛という行為

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誰の中にも、どんなものの中にも「育ちゆくもの」を見いだすこと。

光あるうちに闇の中で眠れ

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「光が強くなればなる程、それによってできる影も黒く濃くなっていく」ある高名な物理学者が、物理学で分かったことは何かと尋ねられた時の答えだ。

光と闇はそれぞれ独立して存在しているのではない。

話は全然違うんだけど、子供の頃、よく「長所をのばし、短所をなくしましょう」と学校で言われなかったですか?僕は素直な良い子だったので、そうすべきものだとずいぶん長いこと思いつづけてきた。そしてできないまま今にいたってしまった。でも、長所だけで短所のない人間というのが果たして存在するのだろうか?それに大体その長所や短所だって相手の都合やその時のシチュエーションによって随分変わる。同じことやってもある人には喜ばれ、ある人には一生恨まれるなんてことだって起きてくる。

まぁ、自分として改善したいところというのは、もちろんいっぱいあるんだけど。。

それに単に「長所」といってもその時と場合で「短所」にもなるでしょう?例えば「几帳面な性格」というのは銀行の窓口では力を発揮するけれど、デートで星空を眺めてる時に星の数を数えないと気がすまなくなったりしたら最悪でしょう?

妻がよく僕のことを「せっかち」といって怒るのだけれど、それを「行動力がある」「決断が速い」といってウットリしてくれる人がいるかも知れないじゃないですか!!

まあ、とにかく僕は僕のままで行こうと思います。

いろんな人がいて、好きだの嫌いだのと勝手な事を言いながらやっているわけで、ある人には「光」に見えるものが、別の人には「闇」に見える。それが正しいだの正しくないだのって言ってても始まらない。 

生まれてから死ぬまで我々は決して同じシチュエーションに身を置くことはない。
一瞬たりとも。

心臓も決して同じ打ち方はしない。
同じ光りに照らされることも、同じ風に吹かれることも二度とない。

似たようなシチュエーションはあってもそれは決して同じものではない、
そしてその差は永遠なのだ。

よく「人生には無限の可能性がある」とかいうけど、僕にとって「可能性」なんて何の意味も持たない。たった一つの人生しか僕にはない。
ただそれが「光」と「闇」の関係のように、いろんな姿をとって現れてくる。

子供も一人一人が全然違う時間で生きている。
それを同じ時間に同じ場所で同じことを押し付けるから無理がくる。

中学生の時にどうしても理解出来なかった数学の概念が大人になってから簡単に理解出来たというようなことは誰にでもあるはず。

人は丸ごと全体で成長し変化していくのだから、何歳までにこれが出来なければ平均的でないという発想は子供にとって迷惑な話だと思う。だいたい「平均」という抽象的概念で子供を縛ることに何の意味があるのか,僕の脳では理解が出来ない。

子供は必然性のないことは決して受け入れない。子供だけでなく人とはそういうものだと思う。タイミングさえ合えば驚くほど吸収する。

教師は観察眼と感性を兼ね備えていなければならない。
そしてそれに基づいて子供たち一人一人のタイミングを見計らい、教えなければならない。
 
いい教師は沢山いる。しかし学校のシステムやそれを取り巻く環境はそれを応援する形になっているだろうか?

僕は三人子供がいるけど一人一人の成長過程は全然違う。

僕は出来れば昔の寺子屋のようなものを作りたいと思っている。

年齢で「横割り社会」をつくるのではなく、大きな子が小さな子を教えるというような、大人だけが子供にものを教えるのではないスタイルを復活させたい。
これだけで社会は風通しが良くなると思う。

海外の若者と付き合えばよくわかるけど、日本の教育は「大人」を作らない教育なのだと思う。
大人とは自分をレスペクト出来る人のことをいう。
自分をレスペクト出来る人は、自分以外の「もの」を使って自分の価値を高めようとしない。

バブルの頃、温泉に入っていたら、宝石だらけの時計とごっつい金のネックレスをはめたおじさんが入ってきた。「あの時計、傷まないのかな?」と思いながら見ていたら、突然、なぜ彼がそうしているのかが理解できた。

「そうか、風呂の中に高級車乗ってこれないものなぁ」

自分は金持ちだと風呂の中でも示威出来なければ落ち着かないのだ。
「あんな大人には絶対にならない」とその時強く誓ったのを思い出す。

案外教育なんて、裸で風呂に入れる大人を育てることだったりするのかも知れない。

昨日を忘れ、明日を思い煩わず

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僕も以前そうだった。
過ぎたことにくよくよし、見えない未来にいらだっていた。
僕は20代のほとんどを身体の不調との戦いに費やした。

僕は一人っ子でしかも実家が商売をしていたので、
社員のみんなは僕を当然父の跡を継ぐものと期待していた。

しかし僕の中の声は、「これはお前の仕事ではない」と響き続ける。しかも身体の状況は日々最悪の方に向かっていく。

そういった様々なプレッシャーが僕を追いつめた。

それを救ったのは整体協会身体教育研究所所長の野口裕之先生との出会いだった。

ある日僕は先生に訊いてみた
「先生、身体ってどうやったらよくなるんですか?」
それに対して先生はこう答えた
「簡単だよ。自分の中に元気なところを見つければいいんだよ」

「全身こんなに苦しいのに、元気なところなんかどこにありません」というと先生は笑って、「じゃあやってみよう」と言ってその方法を教えてくれた。

そして奇跡が起こった。
僕は自分のなかに元気なところを本当に見つけてしまった。
すると身体の中に新しい感覚が芽生え、何かが変わっていった。

僕はその時の技法について言葉で表現する能力を持たない。

しかしこういう事だったのだと今は思う。
僕はそれまで自分を外からばかり見ていた。
鏡に映る自分を見るように。。

しかし先生が僕に教えてくれたのは自分の中から自分を観ることだった。

「自分の中から自分を観る」

ただそれだけで僕は変わり始めた。

それから「昨日」はたとえそれが惨めな失敗であっても僕を前に押し出す輝かしい実績に変わり、「未来」は豊かな可能性として僕の前に手を差し伸べる存在となった。

自分の中から自分を観れるようになるとこうなる。
「来るもの拒まず、去るものどこまでも追っていく」(笑)

自然現象

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 僕の妻は喉にものを詰まらせて二度死にかけている。
その二度とも僕が救っている。ちょっと面白い話なので書いてみたいと思う。
 
(一度目)「鳥の唐揚げをよく噛まずに飲み込んだ」

 それはブラジルから来た友人家族が一週間程泊まってから帰った日の夜だった。

 そして不思議なことが起こった。

 まず僕の妻の状況から。
 
 彼女はかなり疲れていた。何となく余りものの鳥の唐揚げを口に放り込んだ。疲れていたので噛むのが面倒くさくて呑み込んでしまった。すると喉に詰まってしまった。(当然だろ!!)
 
 水を飲んでも、指をつっこんでも何をやってもダメで呼吸が出来ず、パニック状態に陥って2階で寝ていた僕に助けを求めに来たらしい。彼女の話によると僕はその時落ち着きはらって(憎らしい程だったらしい)彼女を正座させ、気合いもろともその背中を叩いたらしい。
  
 見事、のどにつまった鳥の空揚は吐き出され彼女は助かったのだった。僕はといえば彼女が振り返った時にはすでに大の字で寝ていたらしいのだ(すべては翌朝、彼女の告白により判明)。

 さて今度は僕の状況。

 僕は二階で夢をながら寝ていた。それはかなりリアルな夢だった。二階の寝室に何かが近づいてくる気配が立ちこめ、だんだん部屋が暗くなってくる。
 
 なにか「邪悪」なものが近づいてくる。

 そんな感じに身構えていると。突然「ドンドンドン」と大きな音をさせながら階段を上ってくるものがいる。
 
 激しく扉が開くとそこに妻がいた。

 しかしその顔は、ショッカーの戦闘員(懐かしい!)のように黒く隈取りされて、一見して何かにとり憑かれたという感じだった。
 
 僕は彼女を向こう向きに座らせて気合いもろとも彼女の背中を叩いた。その時、彼女の口から「悪霊」が飛び出すのが見えた。

 「勝った!」 

 僕は満足感をもってもう一度眠りについた。

 翌朝、「いやぁ、変な夢見ちゃってさぁ」と妻に話すと怪訝な顔をされた。

「あんた覚えてないの?」

ということで全てが明るみになったのだった。

 不思議なこともあるものだ。

(二度目)「娘と一緒に食事をとっていたところ、大きめの肉(今回は牛肉)を慌てて飲み込んでしまった(娘が急に暴れたらしい)」

 その時、運悪くまた喉につまらせた。今回も水を飲んだり、指をつっこんだりしたのだがやはりだめで、2階にいる僕のところに駆け込んできた。

 しかし、今回、僕は起きていた。

 彼女の様子をみて僕はすぐ事態を飲み込んだ。彼女は口がきけず、一生懸命自分ののどを指差していた。そこで、前回と同じように気合いもろとも彼女の背中を叩いた。

 だが、何も起こらない。慌ててもう一度叩いた。だめ。もう一度、もう一度と十数回叩いた(後で見てみると、彼女の背中は無惨にも青アザだらけになっていた)が全くダメ。のどに指を入れてみたのだが届かない。胃の辺りを押し込んでみたがまるで変化がない。救急車を呼ぼうかと思ったが彼女は呼吸困難のため自分では立てなくなってきていた。もう、間に合わない。僕は「引き出し」を使い果たしてしまったのだ。彼女は意識が遠のいていくのか「白目」を剥いて崩れ落ちていこうとしていた。  

 その時、僕は何故だか彼女のその白目を剥いた顔を見て、「こいつ変な顔してんなぁ」と思ってしまったのだ。

 するとその時突然、何かが閃いたと同時に僕は彼女の胸を手刀で思いきり叩いていた。

 いったい何が起こったのか自分でもわからない。しかし嘘のように、彼女は詰まっていた肉を飲み込むことが出来た。彼女はまたもや助かったのだ。

 「前に上手く行ったから今度も背中を叩けばいいだろう」という感じで対応していたときは全く効果がなかった。喉にものが詰まった場合の対処法はいくつかあるだろうが、思いつく限りを試したけどダメだった。あの時の背筋が凍るような感じは忘れない。

 妻が死にかかっているのにどうにも出来ない。
 頭の中はグルグル回るだけで、何の答えも出てこない。
 救急車も間に合わない。
 誰の助けも借りれない。
 「引き出し」は全部あけてみた。思考はこういう場合役に立たない。知識は「未知のシチュエーション」には全く無力だ。

 もし彼女が気を失いかけて白目(これを言うと妻はいやがるが)を剥かなければ、そしてその時、僕が「変な顔」と思わなければ、「本能」が思考を押しのけて発動することが出来なかっただろう。

 自分の身体が意思を伴わずに勝手に行動するというのは体験してみると非常に妙なものだ。まさに「自然現象」という感じだった。 
 もちろん「思考」というのは重要な能力だと思うけど、「感覚」しか頼りにならない場合もあるはずだ。

 三度目のなんとかがないことを祈っている。

Communication Breakdown

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コミュニケーションは「伝わる」と「伝える」という二つの働きで成り立つ。

今は、他者の「伝える力」=「相手に理解してもらう力」の虚弱さだけを批判して、自分の「伝わる力」 =「相手を理解する力」の貧弱さを棚上げしている傾向が強いような気がする。

「伝わる力」は思いやりを持たないと鍛えられない。
自分の感受性を開いていく作業だからね。

日本人はコミュニケーションがへた、とちょっと前はよく言われていたけど、これは逆に言うと「伝わる力」が高度だったので、「伝える力」が表に出なかったということかも知れないね。

そういう関係の中で育てられたコミュニケーション法は他のシステムの中では最初は誤解を生むかも知れない。

また、世代間でコミュニケーション障害が起こるのは当然の事でこれは何万年も前からあった事だと思う。

特に最近は、社会は縦割りに、そして学校は横割りに分裂させられているので、その傾向が目立つのかも知れない。

「伝わる力」の有り様が、「伝える力」の有り様を成り立たせている。
つまり他者からのメッセージを汲み取る姿勢と自分のメッセージを明確化する作業は深くリンクしているということだ。

人それぞれの「有り様」を認めていく能力は元々人に備わっていると思うのは僕だけだろうか?

コミュニケーションの可能性を探っていくといろいろな事が面白くなっていく。

「コミュニケーション・ブレークダウン」も何かを生み出すきっかけにすればいい。

コミュニケーションの可能性を広げる場作りは大変だけど楽しい。

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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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