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ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

清濁合わせ飲む稽古

僕は「濁」の権化みたいな人間なので、我が身の「清」を見いだすのに苦労して来た人間です。

僕が身体教育研究所の稽古を始めた頃、徹底的に戒められたのが「分かった気になるな」ということでした。

最初は新しい感覚の連続に「これかな」とか「なんか分かった気がする」と思うとすぐ周りの人達に吹聴していたのだけど、実生活に全然それが活かされていない事実を指摘されて愕然とした。

本当に分かればその場で変わる。
本当に変われば、自分の周りから指摘されるようになるし、
周りが変わって来たように感じる。

もう16年以上、稽古をやっているけど、
今思えば赤面噴飯もののことを平気でしていたように思う。
今もやっているけどね。

しかしダン先生の稽古はやはり凄い。
16年間、新しい感覚の連続で、いちいち分かった気になっていられない。
分かることはもう諦めました(笑)

分からなくてもちゃんとやってれば身体が変わり人生が変わっていく。
驚嘆すべき稽古法だね。。

どれだけ迎え入れてそれを解き放っていけるか、
それが「清濁合わせ飲む」ということなのだと僕は教えられた。

それは他者についてよりもむしろ自分に関しての方が難しい。

その難しさは、一歩進むごとに増してくる。
だからやりがいがある。
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今、目の前にあること



今、目の前にあること、をすべて迎え入れる。

僕は以前、ツアーで地方に出かけた時大接待を受けた。
寿司、刺身、ステーキ、どでかい海老フライ、日本酒、洋酒と普段一遍には口にしないごちそうの数々。案の定あとでえらいことになった。

その夜、ホテルで脳溢血か脳梗塞の症状に突然襲われた。その時は咄嗟にそれを止めたけど未熟なので下頸で受けとめてしまい、そこがパンパンに腫れて、強い鈍痛に苛まされ一睡も出来なくなってしまった。

あまりの苦痛に何も出来ず。翌日車の中で唸っていると。
太陽の光が心地よいのに気づいた。
それを手のひらに受け、全身に広げていくことをした。
これは我々が「迎え入れ」と呼んでいる技法のひとつだ。

そのうち「苦痛」の中に僕を前に進めようとしている力が働いていることに気づいた。太陽の暖かい光がその「働き」にまさしく光を当ててくれたのだ。

そのうち体中が光でいっぱいになり、いつの間にか眠ってしまった。

起きたら、全身汗びっしょり。

でも痛みは消えてなんだかさっぱりしている。

苦痛の中にも自分を生きさせようとするものがあることに気づいたこの経験は僕にとっては大きいものとなった。 

今、目の前にあることはそれがたとえどんな形をとって現れようと、僕たちを前に進める何かを内包しているのかも知れない。

愛は呼べば来る

人は好ましいものとはすぐ同化出来る。
でも気持ちの悪いものや苦手なものと同化することは難しい。

しかしちょっとした意識の「ずれ」が起こったりすると、実は好き嫌いにかかわらず同化しあって存在しているのがこの世界の姿だといことに気付くことがある。

ボブ・マーレイが言った「one love」とはそういうことなのでないのかな。
それは般若心経に書かれていることにも通じるように思う。
それはキリストが「なんじの敵を愛せよ」といった言葉とも重なってくるように思う。

美しいと感じること、醜いと感じること。
それらは結局、自分が向きを変えれば変わっていく景色のようなものなのかも知れない。そして、それは自分の内側の風景でもあるのだ。

受け入れたいものと受け入れ難いものとはこの世界の異なった風景にすぎない。それは分ち難くつながった無限に広がる織物のようなものなのだから。

今、僕の中でこだまする言葉がある。
「愛は出せば出す程もっと出てくる」


愛したい人が沢山いる。
愛せない人も沢山いるだろう。

でも愛は呼べば来るものなのだ。
だから僕は恐る恐るでもいいから、
少しずつ愛を広げていきたい。

と何故か強く思う今日この頃なのです。

縦書きの話


日本語は縦書きで読み書きするものだと思う。
しかしこのネットのほとんどが横書きで書いたり読んだりするのが普通になって来てしまった。

政府の文章も横書きになってしまったらしい。
これは本当はよくないんじゃないかと思う。

以前、鼓膜が破れてしまって音がよく聞こえない状況だった時、どうしたことか横書きの日本文を読むのが非常にきつく感じた事があった。不思議なことに同じ横書きでも英語なら別に苦痛を感じない。

こういう身体に余裕がない状況では本来の感覚が研ぎすまされることがあるが、まさにその時の僕がそうで、キーボドで日本語を「打つ」作業が非常に苦痛だったし、なんだか夢の中で流れていく川の水に字を書いているような気分だった。

僕は身体感覚を必要(健康上の理由)に迫られてダン先生から学んで来た。

そのなかで筆を使ったかなりきつい稽古法があって、それをやりながら「縦書き」というのは「日本文化としての身体」と密接不可分の関係にあることを思い知った。

例えば我々は判断は「頭」ですると思っているが、データからだけで判断しかねる場合というのが多々ある。その時「これで行こう」という判断のよりどころはどこにあるのだろう?

結局「なんとなく」としか言いようのないものがその判断の元になるのだが、それを掘り下げていくと身体の中の「軸」の感覚だとか「中心」の感覚というものに行き当たる。

それを作り上げているものは身体の使い方に他ならない。
僕はこの身体の使い方の基準となる「共有された感覚」のことを文化と呼んでいる。

立ち居振る舞い、箸の上げ下げ、茶碗の持ち方、挨拶の仕方等々の中にそれは見いだすことが出来る。
縦書きの日本語というのももちろんその中に入っている。

小さい頃よく母や祖母に「チャンとしなさい」と言われた。
この「チャンとする」ということはどういうことか?

今なら僕は「軸」を崩さず「中心」を出すことが「チャンとする」ことだということを知っている。

縦書きの日本語は「軸」を意識させてくれる。特に筆による縦書は背骨の感覚をはっきりさせる事で成り立つので、この国の深層体育として我々の身体や文化の有り様の醸成に大きな影響を与えて来た。

このような長い時間をかけて形成されて来た「共有感覚」を我々はもっと大事にするべきだと思う。

Athi Riverの奇跡

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 2006年9月、はじめてケニアに行った時の話です。

 羽田、関空、ドバイ、ナイロビと待ち時間も含めたらまるまる24時間かけてケニアに到着しました。空港にマークとリリーが迎えに来てくれて、彼らの車にのってナイロビの中心に向かうといきなり広大な景色が広がります。けれども不思議と遠くに来たという気持ちが起きません。

 僕は何故か、小さい頃祖母と暮らした鹿児島を思い出しました。力強い大地の力を感じるところが共通しているのかもしれません。

 翌日、3月に行われたトライアルの地、AHTI RIVERにいって来ました。ナイロビから30キロ程離れたところにその地はあるのですが、幹線道路を離れるとそこはもう原野の中。何度か行ったことのあるスタッフでさえ途中で道(?)が分からなくなり、今自分たちがどこにいるのかさえ危うくなってきました。

 するとたまたま通りかかった牛飼いの少年と出会い、彼の教えてくれた通りに行くと、ぽつぽつと民家のあるところに出ました。そこである男性を道案内に雇い、なんとか現地に到着。

 そこで僕が見たものは、何度も映像で見たあの景色でした。

 粘土団子を蒔いたあとに作った動物よけのフェンスを目指し、枯れた背の高い草をかき分けて近づいていきますとフェンス越しにはっきりとアカシヤの幼木が見えるではありませんか!!

 僕は夢中で柵を乗り越えフェンスの中に入りました。確認できただけで40本を超えるアカシヤが元気に育っていました。

 「本当だった!!本当に生えるんだ!!!」

 昔、アカシヤの大森林地帯だったこの地に、また森が蘇ることも不可能ではない。僕はその姿をありありと目に浮かべることが出来ました。

 しかし、迷い迷って辿り着いたので、もう日暮れも間近という時間になっていました。スタッフの一人が、「もうすぐワニが活動を始める。早く戻ろう」と緊張した面持ちでせかし始めます。そう、すぐそばを流れるAHTI RIVERはワニの生息地なのです。

 ここはやはり鹿児島ではなくアフリカなのでした。

 僕達が逃げるように車に駆け込んだのは言うまでもありません。。。

自宅出産(2)



「出産は病気じゃないんだから自宅で産みたい」という僕達の願いを実現させるためには、いくつかハードルがあった。
親戚一同には反対された。「万が一のことがあったらどうするんだ」というのがその理由だ。「万が一のこと」が絶対におこらないとは限らない。しかしその可能性を最小限にすることは可能なはずだ。もともと僕達夫婦は整体協会の身体教育研究所で稽古していたのが縁で結婚したのだが、この「稽古」が我々に自信と実際の能力を身につけさせてくれたのと、よい助産婦さんと出会えたことが三人の子供全部自宅出産できたことの大きな背景となった。

1999年の1月7日の午後4時過ぎに「おしるし」が来た。

僕は助産婦さんに電話した。
しかしその時、助産婦さんから帰ってきた言葉は
「多分私は間に合わないから取り上げといてください」
というものだった。

僕を愕然とした。控えめに言って僕はものすごくびっくりした。
「えっ、俺がとりあげるの!!!!」

万が一に備え、心の準備は万端整っていたはずなのに、僕は正直に言ってビビリまくった。

「取り上げるってどうしたらいいんですか?」
「その時になったら自然に分かります」

助産婦さんの落着き払ったその言葉は僕の中でこだました。

「そのときになったらわかる」

そして約4時間後、その言葉に嘘がなかったことを実感することになった。

 
妻は産まれる1時間前まで普通に動いていた。
「紅茶でも飲もう」とお湯を沸かしている途中に突然、「竜さん、あたしあかんわ」と言ったまま、四つん這いになってしまい、それこそケダモノとしか思えないような低いうなり声をあげ始めた。

不思議なことにその「うなり声」を聞いたとたん、僕の中に激しい変化が起こった。四つん這いになったまま、ただうなり声しか出すことの出来なくなった妻がとてつもなく愛しく感じられ、それまでの不安な気持ちは消え失せ、決然としたものが僕の中に生まれた。

「もう産婆さんは間に合わない、俺がやるしかない」と腹が据わった。

腹が据わったとたん僕は妻の身体をさすったりつまんだり揺すったりし始めた。

何も考えていないのだが、身体が自然に動くのだ。

「なんでこんなことしているのか」と頭のどこかで思っているのだが、身体はおかまいなしに動き続ける。あとで妻に聞いたらそれでずいぶん楽になったらしい。不思議である。

最後は声を出したくなった。最初は「え」の音が出したいのでそうした。すると骨盤の下の方が開いてきた。次に「お」の音を出したくなったのでそうした。今度は骨盤がさらに開いてきた。

するとまさに「ズルズルズルーッ」という感じで賀七子が出てきた。
賀七子は羊膜をかぶったまま、ちょうど彼女のおなかの辺りまで一気に出て来た。僕は彼女を落とさないように手を差し伸べた。
(このときのことは「親の気持ち」で書いてます)

その直後、助産婦さんが到着し、据わったはずの僕の腹腰がもろくも崩れたことを告白しなければならないだろう。

自宅出産(1)



僕には三人子供がいる。三人とも自宅出産だ。僕が「現場」に付き添えたのは残念ながら長女の時だけだったけど、最近「子供を病院で産むべきかどうか」という質問をよく受けるので、僕達夫婦の場合について書いてみたいと思います。

病院には検査に3回行っただけだ。私の妻は妊娠中、すべて普段通りに過ごした。毎日、それこそ雨の日も風の日も黙々と1時間位は歩きに出ていたし、家事だって全部きっちりとこなしていた。(長女が産まれる1時間前まではいつも通りにお茶を入れようとしていたぐらいだ)。

妻は細く、骨盤も小さいので病院で出産していたら、間違いなく帝王切開されていただろう。しかし長女は本当にスルリという感じであっという間に産まれてきた。2505gの小さな赤ちゃんだったが、母体の骨盤の大きさに見事にあった大きさで出てきたのは不思議としか言い様がない。

すべては自然がやってくれたという感じだった。
100年前の子供はみんなこうやって産まれてきたのだ。しかし、噂に聞くところによると、病院での出産はまるで工場でモノを作るみたいにすべては病院の都合にあわせて進行させられるとか。医者が早く帰りたいから陣痛促進剤を打たれたり、麻酔を打って出産したためにいつ赤ちゃんを生んだのか記憶がないとか、とにかく信じられないような事が実際に行われている。

人間はモノではない。妻も病院だけでは産みたくない、自然な事なんだからその流れに則って産みたいというので二人で感じるままに暮らし、その日を迎えた。「もし、何かあったらどうするの?」と言われる事も多かったけど、素晴らしい助産婦さんを紹介してもらい緊急の時の病院も決めて万全の体制で臨んだ。でも無事に娘が産まれてきた最大の要因は私の妻が「生命を見つめる眼差し」を持って日々をきちんと暮らしていたことだと思う。自分でやると覚悟したら人間は本当に力を出せるんだなぁとその時実感した。

育つものに教えられる


先日うちに友達が子供を連れて来た。
彼女と会うのは一年振り位なのだが(もっとかも)、全然久しぶりな気がしない不思議な人で、子供も初めて会うのだが何故か初めて会った気がしないという不思議な子供だった。

彼女が母としてアーティストとして大きく前進していることを強く感じた。

若いときの苦労は買ってでもしろとよくいうが彼女を観ていると本当にそうだと思う。
自分の好きな道で身を立てるということは大変こと。
まして小さい子供がいればなおさらのこと。

でも僕たちは知っている。
子供は親を前に進める偉大な力を持っていること。

確かに子育ていうのはどれだけ丁寧にやっても足りるということはない。でも見れば見る程可愛いし、泣いたり、いたずらしたりしながらただの人を「親」に育ててくれる。

以前、僕の長女が生まれて半年ぐらいたった頃、屋久島に演奏しに行った。その時7人子供がいる家に遊びにいった。
そこのお母さんに「よく7人も育てましたね」というと
「育てたんじゃないのよ、育っちゃったのよ」という答えが返って来た。

新米パパの僕にとってこの言葉は深く考えさせられるものがあった。

教育とは何かと聞かれたら「教え育てる」と以前なら答えていたのだが、今は「育つものに教えられる」ということだと答えるだろう。

最近自分の子供を虐待したり殺したりする親がいるけれど、
彼らは自分の中に育っていくもの見いだす喜びというものを知らないのではないだろうか?

この喜びはお金では買えないし交換も出来ない。
育つということが人間にとって一番価値あることだと僕は思っている。
だから何故人を殺してはいけないのか?と尋ねられたら、「育つもの奪うから」と僕は答える。

人は死ぬまで育ち続ける。
その育つものに喜びを見いだすことに価値を見いだすというこを伝えてきた文化を僕たちは持っているはずだ。
この文化を「育て」なければならないとこの美しい母子に見とれながら強く強く思うのだった。

新しい未来像

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我々は未来は機械が支配していて空は青くなく毒ガスマスクのようなものをつけて生活しているというようなイメージを持ってないだろうか?

映画やテレビの「未来もの」はマトリックスのような未来のイメージをまき散らしている。

でも本当にそれだけが未来の姿なんだろうか?
       
人が生きるために最低限必要なものは
空気、水、食べ物とされている。
僕はこれに「希望」を付け加えたいと思う。

子供じみているかも知れないけどここから僕は未来像を考えていきたいと思う。

ケニアでRainmaker Projectを実施しながら、この国は日本などのいわゆる「先進国」とは異なった行き方が出来るのでは、そういった意味で新しい可能性があるのではと強く感じた。

今、それは少しづつ僕の中で形になりつつある。

ただ思うままに書かせてもらうと

例えばケニアでの植物の生長速度は驚くべきものがあるが、
うまくやれば森を育て、水を確保することが近い将来出来ると思う。
その上で自給自足を基本にした農業のシステムをつくり、野菜や穀物等の食物も各コミュニティに合った生産が可能なはずだ。

そして広大な大地は持続可能な世界を実現するための科学的なアプローチを目指す科学者にとって素晴らしいフィールドとして目に映るのではないだろうか?(実際に何人かのエネルギー研究者や農業研究者等が興味を示している)

低コスト、ローインパクトなエネルギーは実はたくさん存在しているのに、政治的な制約で広まっていない状況も指摘されているので、こういった研究者の皆さんの力を発揮する場所が創れるかも知れない。

高度資本主義経済は本来いらないものを欲しがらさせる広告の力を基本に発展して来たが、もうそれも限界に達している。

先進国の基準でいうと非常に「貧しい」としか言いようのない生活をしている彼らにうらやましい程の豊かさを感じる僕はどうかしているのだろうか?

何故かあの大地に立つと希望に満たされていく自分が在る。

先進国型の経済システムをアフリカ諸国にそのまま移築することには少なからず抵抗を覚えてしまう。

その辺のところを考えていくことの出来る人達の協力を募っていくステップにRainmaker Projectは入って来た。

未来は僕たちの手の中にある。
イエーツが言ったように「夢の中から責任は生まれてくる」のだ。「希望」に「責任」が伴って初めてそれは力を持ち始める。
その「責任」をうまく織り上げていく。新しい未来の胎動が始まる。

こらえるということ

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「頑張って」という言葉を言ってはいけない人たちがいる。
そのこと自体がプレッシャーになってしまうらしい。

確かに何が何でも頑張るという態度には
ある種の違和感を僕も感じる。

だけど生きてれば頑張らなきゃならない場面も出て来るし、
逆に頑張っては行けない場面も出てくる。

臨機応変というやつですな。
しかしこれはこれで結構難しい。

僕の長女が生まれてきた時、産婆さんが間に合わず、
僕が取り上げることになった。

出産というのは頑張ってはいけないものの代表のようなもので、
力んでも苦しいし、力を抜けと言われても簡単に抜けるものではない。

そこで必要になるのは「こらえる」という感覚です。
これは「我慢」するということとは異なります。

「我慢」というと何かに対して精神的に抵抗するようなイメージがありますが、「こらえる」ということは自分の内側を感覚的に充実させることを言います。

精神の問題と言うよりむしろ身体能力の部類に入るでしょう。

「リラックス信仰」というようなものがあって、
それは力を抜くということが一番いいことだと理解されている。

出産のときも「リラックスして」とよくいわれるけど、ただ力を抜くことなんてあの状況では不可能です。

「こらえる」という感覚を軸に対応するのが自然だと僕は思います。

「こらえる」とは言い換えれば「一点で支える」ということに集注していく作業のことです。

出産の時によく「はひふへほ」の音で発声すると楽になると言われていますが、これは本当で、うまく発声するためには身体のどこか「一点」で支えることが必然になるので、楽になるのです。

一点で支えることで充実してくる身体。
誰かがそれを発見し、文化として育ててきたことに
僕はこの国の良き面を見いだすことが出来るのです。

こういった身体能力を育てることが今の教育にとって急務だと思うのは僕だけでしょうか?

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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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