
我々は未来は機械が支配していて空は青くなく毒ガスマスクのようなものをつけて生活しているというようなイメージを持ってないだろうか?
映画やテレビの「未来もの」はマトリックスのような未来のイメージをまき散らしている。
でも本当にそれだけが未来の姿なんだろうか?
人が生きるために最低限必要なものは
空気、水、食べ物とされている。
僕はこれに「希望」を付け加えたいと思う。
子供じみているかも知れないけどここから僕は未来像を考えていきたいと思う。
ケニアでRainmaker Projectを実施しながら、この国は日本などのいわゆる「先進国」とは異なった行き方が出来るのでは、そういった意味で新しい可能性があるのではと強く感じた。
今、それは少しづつ僕の中で形になりつつある。
ただ思うままに書かせてもらうと
例えばケニアでの植物の生長速度は驚くべきものがあるが、
うまくやれば森を育て、水を確保することが近い将来出来ると思う。
その上で自給自足を基本にした農業のシステムをつくり、野菜や穀物等の食物も各コミュニティに合った生産が可能なはずだ。
そして広大な大地は持続可能な世界を実現するための科学的なアプローチを目指す科学者にとって素晴らしいフィールドとして目に映るのではないだろうか?(実際に何人かのエネルギー研究者や農業研究者等が興味を示している)
低コスト、ローインパクトなエネルギーは実はたくさん存在しているのに、政治的な制約で広まっていない状況も指摘されているので、こういった研究者の皆さんの力を発揮する場所が創れるかも知れない。
高度資本主義経済は本来いらないものを欲しがらさせる広告の力を基本に発展して来たが、もうそれも限界に達している。
先進国の基準でいうと非常に「貧しい」としか言いようのない生活をしている彼らにうらやましい程の豊かさを感じる僕はどうかしているのだろうか?
何故かあの大地に立つと希望に満たされていく自分が在る。
先進国型の経済システムをアフリカ諸国にそのまま移築することには少なからず抵抗を覚えてしまう。
その辺のところを考えていくことの出来る人達の協力を募っていくステップにRainmaker Projectは入って来た。
未来は僕たちの手の中にある。
イエーツが言ったように「夢の中から責任は生まれてくる」のだ。「希望」に「責任」が伴って初めてそれは力を持ち始める。
その「責任」をうまく織り上げていく。新しい未来の胎動が始まる。