ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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全身全霊

今日、新宿駅のホームを歩いていたら、
寅さんのポスターが貼ってあり、
こんな内容のことが書いてあった。

「全身全霊で恋をしろ。恥ずかしくてのたうち回るぐらい惚れてみろ!」

正確にはこの通りの表現では無いけど、内容はだいたいこういう感じだったと思う。

必死に何かをやっている姿というのは、傍目から見ると時に滑稽に見えることがある。

特に最近は「熱い」ものを冷やかす風潮があるようだ。
「情熱を燃やして」とか、「全身全霊で打ち込む」という言葉を使うと、
冷ややかな視線に出会うことがある。

でも僕はこれで一生行こうと思う。

本当に力のあるものには根拠が無い。

例えば子供への愛。

何故可愛いのか?
「自分の子供だから」
何故自分の子供は可愛いのか?
「???」

可愛いもの可愛いし、愛しいものは愛しい。

僕は自分がやっていることのすべてに根拠を見出すことが出来ない。

ただ身の内から溢れ出す強く激しい熱情に駆られて、それらをやっているだけだ。

それは滑稽に見えるかもしれない。

「地球緑化」「映像による東アジアの相互理解を深める」「感覚の共有を生み出すことで社会の安全保障を高める」「子供達に希望を与えるコンテンツを創る」「地域の情報をデザインし、流通性の高いコンテンツとプラットホームを編み出す」etc.....

何を大げさなと思われるかもしれない。

でもそれで全然かまわない。

寅さんは滑稽だ。でも愛される。

僕は滑稽なだけで、愛されないかもしれない。

でもそれで全然かまわない。

ただそれらを成し遂げたいのだ。
それをやれ、やり遂げろという内なる声に従うだけだ。

「幸福」は状況ではなく能力なのだということを子供達に伝えたい。
全身全霊で。
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落ち込めない身体

僕は20代の半ば頃、今で言う「引きこもり」の状態だった。

20歳位の時から身体の不調に見舞われ、
26歳の時に身体教育研究所と出会うまで、
病院を始め、あらゆる民間療法を試して来た。

匂いが全くわからくなり、
強い倦怠感に苛まれ、
強度の頭痛に見舞われる。

それが、割と大丈夫な時とだめな時が交互に来る。
大丈夫な時はなんとか出歩けられるのだが、
だめな時は全く動けない。

最後は右半身の感覚異常まで起こりはじめ、
自分の人生の前途に希望が持てなくなっていた。

それに加えて家庭の事情も僕にとってはきつかった。

父親が建設業を営んでいて、僕が一人っ子ということもあり、
「跡継ぎ」としてのプレッシャーがのしかかってくる。

会社と同じ敷地内に自宅があるものだから、
表に出れば社員と出会う。
出会えば、彼らが無言の非難を僕に浴びせているように感じる。

もちろんただの思い込みなのだが、
自然、人目を避けるようになり。
自己憐憫の日々に耽溺することとなった。

今、思えば信じられないような虚弱さだった。

その生活が身体教育研究所との出会いで激変した。

「なんたって野口整体だ。きっと直してくれる」という甘っちょろい期待は、最初のオリエンテーションで打ち壊された。

ダン先生の「私が野口晴哉の息子だからといって、彼と同じような治療能力があると思ってもらったら迷惑です」「ここでは皆さんに稽古法を伝授するだけです」という言葉に唖然としながらも、最初の稽古の面白さに惹かれ、気がついたらもうすでに18年も通うはめになっていた。

そこでの出来事は他でも書いているので詳しくは書かないが、
ここで身体感覚の稽古をしながら学んだことは、

1、常に自己の中にも他者の中にも「元気なところ」を見いだす能力を身につける。

2、今、目の前にある事に全力発揮する。

3、自分の中に中心を作る。

の三点に集約される。


朝起きて、カレンダーを見たらもう今月も後半に入った事を見て愕然とした。「なんて時間の経つのは早いんだろう!!」
その時、沢山のやらねばならない事が脳裏に浮かんで来た。

資金繰り、映像教育のプログラム作り、バンドのマネージャー探しの件、
映画祭のスタッフ編成及びプログラミング、日韓中共同制作映画のスタッフィング、キャスティング、スケジュールの確定、作曲、録音、宮城の土側溝の田んぼの映像撮影、中国行きのスケジュール,韓国行きのスケジュール、ケニア行きのスケジュール、Rainmaker Projectの現地体制のリニューアル、環境メディアアートフェスティバルのプログラミング、miru eco の模範映像の作成等々等々。。。。

以前の僕ならパニックになり即鬱状態にまっしぐらだったはずだが今はそれが身体が許さない。腹腰にある強靭で強大な充実感がそれを阻むのだ。

僕の中心感覚がそれぞれの課題をさばいていくのが分かる。
自動でやってくれるんだからありがたい。
もちろんそれぞれを知的に操作していく作業はあるのだけど、
まずは手綱をがっしりと引き寄せる事からそれは始まるのだ。

よく意識改革というけれど僕は「感覚改革」こそ目指すべきものだと思う。
「ポジティヴシンキング」を身につけようとしても思い込みだけでは本当に前向きな方向に進まない。20代の頃イメージトレーニングを散々やったが、全く効果がなかった。

「身体の感覚が変わらなければ意識は変わり様が無い」という事実を知る事からすべては始まった。それは知識ではなく感覚として、稽古を通じ僕の中に形成された哲学だ。そしてその稽古は稽古場の中だけでなく、生活全般に広がっていくことになった。

悩んでいる暇はない、「次、ハイ次、次」という具合にとっととさばいていくのだ。

自己憐憫できない身体。
落ち込めない身体。
悩めない身体。
を僕は歓迎する

そして
悲しみを受け止める身体。
喜びを分ちあう身体。
怒りにとらわれすぎない身体。
を僕は言祝ぎたいと思う。












ある質問に対する答え

榎田さんってどうやって曲を作るんですか?

難しい質問です。
しかし出来るだけ分かりやすくお答えしたいと思います。

1、身体の中に得体の知れない感覚が芽生える。
2、それを聞き慣れた平均率の世界の音に翻訳する。
3、体裁を整え、聞き慣れた記号群としての音楽にしていく。

というような過程を経て、「曲」というものにしていきます。

これだけでは分かりにくいですね。
少しエピソード交えてお話しましょう。

エピソード1

高校三年生の時、オートバイの後ろに乗っていてひどい事故にあいました。
反対車線がひどい渋滞だったのですが、その中の一台が突然Uターンしようとして僕たちが走行している車線を塞ぐ形で止まってしまったのです。

ここだけの話ですが、その時はかなりの高速でこちらもぶっ飛ばしていたので、
止まりきれずにとても激しく衝突してしまったのです。

運良く、セダンタイプの車の左前輪の部分に衝突したので、運転していた友人は単車のハンドルの部分に股関節を引っかけて、ボンネットに万歳状態で叩き付けられただけですみました。(全身に入れ墨をいれたような青あざはできたけど)

さて、哀れなのは私の方で、
衝突した瞬間、運転していた友人の背中がカタパルトに変化して、
私はボリショイサーカスのピエロのように空中高くたたき出されてしまいました。

衝突した車をきりもみ状態で遥か飛び越え、激しく地面に叩き付けられてから視界が真っ暗になってしまいました。

狭いところに閉じ込められたような感覚に陥っている
得体の知れない音が鳴り続けている

すると突然、潮の香りが鼻の中によみがえってきました。
「ああ、海のそばにいるんだな」と思うと同時に、
鳴り続いていた「得体の知れない音」が突然人の声に変わったのです。

「大丈夫ですか!!?」

さっきまで鳴り響いていた得体の知れない音は、
その人が一生懸命語りかけてくれていた言葉だったのです。

あれは事故の衝撃で「自動翻訳装置」が一時的にダウンしたせいで、「宇宙音」のひとつである『人の声』を人の声として捉えることが出来なくなっていたのだと思います。

(ちなみに余談ですが、人の五感の内、最もプリミティヴなものは嗅覚だといわれています。人が生死の境を彷徨う時、この臭覚が働くかどうかで生き死にが決まると言われています。この話についても面白い事が沢山あるのですが、本件とは関係ないので別の機会に譲ることとします)


エピソード2

私は以前、明治生まれの薩摩琵琶の大名人に薩摩琵琶の指導をしてもらっていたことがあります。残念ながら私が習いはじめて間もなく先生が倒れられて、私の薩摩琵琶の鍛錬は初歩の初歩という段階で止まってしまいました。

その「初歩の初歩」というのは、平均率で慣れた耳を純正律の耳にしていくという稽古のことです。

我々が普段聴いている音階は「平均率」で作られたもので、1オクターブを12等分した音律を基本に作られています。ピアノやフレットや穴のある楽器がこれで作られています。

これに対して民族音楽等は純生律と呼ばれるもので、声やヴァイオリン等フレットのない楽器が奏でやすい音楽です。邦楽や民族音楽はこれで成り立っています。

先生との稽古は以下のように行なわれました。
正座対面で琵琶は構えるだけ、
そして先生の唄をなぞるように謡って行くのですが、
これが全然出来ない。
私は西洋音楽なら一度聴けば大抵そのメロディーやリズムを再現する事で出来ます。
複雑なものでも何回か聴けばそれを再現することができる。

しかし薩摩琵琶の唄は違いました。
音階は単調で、譜割も特に複雑とは思えないのですが、
これが全然出来ない。

間も取れなければ、メロディーも取れない。
私は非常な混乱と困惑に陥ることになったのです。

「なんで????」

先生がはじめに言った「今の人たちは平均率で耳が慣れてるから、最初は唄だけをきちんと聴いて、それを身のうちに叩き込みなさい」という言葉の意味がやっと理解出来ました。

いわゆる「耳が出来ていない」状態だったのですね。

私はその時、非常な困惑を感じると同時に、
「音楽とは何と深くて広い世界なんだ」といった感動を覚えたものでした。

私は感覚の「型」というようなものが出来て、初めて物事の本質に触れることができるといった事を沢山の人や事故(?)等の出来事から学んで来ました。

ですから感覚体験を体系化する事で自分の中に生まれてくる「型」をもとに、身体の中に生成してくる「得体の知れない感覚」を翻訳していく。

この自動翻訳機のことを「型」と呼んでもいいのかもしれません。

それが私の作曲法であると同時に、あらゆる物事を生み出すやり方なのだという事で、
最初の質問の答えとさせていただきます。



(ある講義のやり取りから抜粋)

ベッカム再考

僕のうちはテレビを観ない。うちのテレビはビデオとDVDを見るモニターとして使われている。うちの子供はよそで観ない限りテレビを観ることがない。
したがって、テレビが発信してくる価値観の醸成から免れている。これは大きい。

数年前、ある会合に出かけていったときの話。

この人たちがしきりに「ベッカム」という言葉を口にしている。
そこで僕は「ベッカムって何ですか?」と訊いてみた。

一瞬の沈黙後、「えっ、ベッカム知らないんですか?」と言われた。
本当に知らなかったので「はい」と答えた。

すると突然そこにいた全員が大爆笑を起こし、
「ベッカム知らない人がいるよ?」とひと盛り上がりされてしまった。

そこで僕はあらためて「ベッカム」について訊いてみた。
彼らの話を総合すると「ベッカム」というのは要するに
「イギリス人で、サッカー選手で、かっこいい」ということらしい。

そこで僕は彼らに訊いてみた

「普段はどういう人なのか?何故サッカーを始めたのか?子供のときの夢は?どんな哲学を持っているのか?等々」

すると誰も答えられない。

よくよく訊いてみると、誰も「ベッカム」に会ったこともないし、直接、サッカー場で彼のプレイを観たこともないということが判明した。

要するに彼らはテレビから繰り返し発信される「イギリス人で、サッカー選手で、かっこいい」という「ベッカム」のイメージを共有しているだけなのだ。

「人は他人の欲しがるものを欲しがる」
この「習性」を利用して市場経済は成り立っている。
広告は人に欲しがらせるためにあらゆることをするが、原則はたった三つだ。

1属性 (イギリス人)を提示する。
2機能 (サッカー選手)を大量に配信する。
3形容詩 (かっこいい)を強調する。

ホップ・ステップ・ジャンプでものを売る。
これが広告技法の基本。
メディアリテラシーが公共教育の中に存在しない日本では、
この程度のことでみんなだまされる。

テレビや中刷り広告や雑誌などから繰り返し、「ベッカム」という言葉が発射され続けると、「ベッカムはかっこいい、だからベッカムの名前やイメージを使った商品やサービスを手に入れると、あなたもベッカムのようにかっこよく(美しく)なれるかもしれない」という共通了解のようなものをある期間生みだすことができる。

実際のベッカムは確かにかっこいいのだろう。でもその「かっこよさ」は彼の資質や長年の努力等、様々な要素から彼自身が生み出したものだ。

それはお金で買えるようなものではない。
お金で買えるものは「交換」出来るものだけだ。

今、僕の周りでベッカムを話題にしている人はいない。

空を見上げて


僕の長女が夏空を見上げながら一人言。。

あ、お父さん、葉っぱがぐるぐるダンスしてるよ。きれい!
あ、カラスも雲の中でぐるぐるダンスしてる。
あれはね、お父さんと拓ちゃん(一緒にやってるドラマー)だよ! 
雲の中でギター弾いたり太鼓叩いたりしてるんだよ!
あ、みんな集まって来た!
音楽会の始まり始まり?。
あ、蝶々の佐藤が来た。
何で蝶々だけ名字なんだ?(父)
蝶々は名字って感じじゃない!
蝶々もどんどん音楽会のほうに上っていくよ。
みんなでぐるぐる踊るんだね。

そうだ生きてる限りみんなぐるぐる踊り続けるんだよ。
死んでからもぐるぐる踊り続けるのかもしれない。
広い空を見上げながら、何故かそう思うのだった。

GOJIDAN



先月、十勝に行って非常に上質なものを食し、帰ってから行った宮城でまた上質なお米を食したら僕の中で何かが動きました。

中国の連中と付き合うようになってから、
飲めない酒も飲めるようになり、
連日の接待攻めで高カロリーのものを死ぬ程食べさせられ、
気がついたら15キロくらい太ってしまっていた。

酒もやめて、身体も鍛えているのになかなか体重が落ちなかった。
それが突然、啓示のようなものが来た。

「5時以降に食べるのをやめてみよう」

それで始めたのが「GOJIDAN」。
つまり五時以降は食べ物を取らないという生活。

先月の16日から初めて三週間程で6キロぐらい無理なく体重がおちてしまった。

無理もない。
だからリバウンドも無い。

「付き合いが」とかいう言い訳で夜中に死ぬ程食べていた自分を今は不思議な気分で思いだしています。

今は胃が小さくなったのか、一度にたくさん食べれなくなって来た。
それに五時前なら死ぬ程食べてもいいんだと思うとストレスも無い。
たまには付き合いで五時以降、食べることもあるけど、それも楽しくおいしく食べれたら翌日かえって体重が落ちてたりする。

身体の秘密にまたひとつ触れたようです。

会う人ごとに「痩せたね?」と言われるのが、
えも言われぬ快感になっています。

この調子で二、三ヶ月も経てば、元のターザンのような身体に戻るでしょう(笑)
そしたら本でも書いてみるかな。。

チャンとするということ



90歳をとうに超えた祖母から来たハガキを見ながら、
「チャンとする」ということに思いを新たにした。

僕は小さい頃、祖母に育てられた時期がある。
その頃、父は送電線工事の会社を立ち上げたばかりで、
母も50人ほどいた従業員の人たちの炊事洗濯等を全部一人でやらなければならなかった。

ちょうど高度経済成長の後半の時期にあたり電力はいくらあっても足りないという時代だった。

皆さん「なんでこんな山奥に」というところに鉄塔が立っているのを見たことがあるでしょう? そんな山奥に鉄塔立てるのだから宿舎には電器や水道などあるわけがない。母は毎日、宿舎の下を流れる川まで水を汲みにいったそうだ。一日の大半はそれに費やされた。

小さい頃の僕は今と違ってとてもやんちゃで、ちょっと目を離すとすぐにどこかに消えてしまって、僕のいないことに気付いた母をパニックに陥れていたらしい。何しろ熊や猪が棲息するほどの山奥なのだ。

ある日、僕は決定的なヤンチャをしてしまった。
近くの池に溺れて浮かんでいたところをたまたま通りかかった従業員に発見され、
一命を取り留めるという事件を起こしてしまったのだ。

母は重労働を続けながら、僕を「監視」し続けることの困難さを思い、
結局、自分の母親(僕にとっては祖母)に僕を委ねることにした。

そして僕は鹿児島の祖母のもとに送られることになった。
祖母は一人暮らしで(彼女の夫は戦死していた)自分で田舎に雑貨店を経営し、生計を立てていた。

鹿児島は昔は「薩摩の国」と呼ばれ、そこに住む侍達は、映画「ラストサムライ」に登場するサムライの原型になる程の益荒男ぶりを誇った。

祖母も「薩摩」の教育を彼女の母や祖母達から徹底的に叩き込まれた世代で、その教育がそのまま僕にも注ぎ込まれることになった。

当時の鹿児島は夢のようなところだった。
生き物はみんな大きく生き生きとしていた。
朝起きて戸を開けると祖母の育てている花々の匂いがさわやかな風とともに家の中に流れ込んでくる。空はどこまでも高く、桜島の火山灰を含んだ大地は南国の太陽に照りつけられて陽炎をくゆらせている。
今は廃線になってしまった宮之城線の線路わきの側溝はすぐ横の崖から湧き出した水に満たされ、そこには鮒や泥鰌、時には亀までが住んでいて、子供の僕にとって正に楽園だった。

おかげで両親から遠く離された寂しさを感じることもなく、
僕は毎日過ごすことが出来た。

しかし祖母の教育は厳しかった。
いつも「チャンとしなさい」と言われ続けた。
「チャンとしなければだめだ」としかられた。

おかげでいつの間にか「チャンとする」いうことが、
感覚的に身に付いた。

ではこの「チャンとする」とはどういうことか?
自分の子供を躾ける立場に立った今、
これを言葉で説明する必要が出てきた。

「チャンとする」とは要するに自分の背骨が全部感じられるような姿勢をとるということ。つまり自分の中にしっかりとした中心感覚を持つということだ。

「襟を正す」ということも同義だ。
試しに正座して襟を正してみればいい。
自分の背骨がよりはっきりと感じることが出来るはずだ。

自分の背骨がはっきり感じるようになればどうなるか。
美しく「動く」ことが出来るようなるのである。
美しく「動く」とは合理的に身体を動かすことに他ならない。
合理的に身体を使うことで全力で物事にあたることが出来る。
野に生きるケダモノ達のように。。

自分の中に中心をしっかり出すこと。
自分の軸を身の中にしっかりと感覚すること。
これがすなわち「チャンとする」ということなのだ。
これは人間の活動全般に通ずる基本なのだ。

このシンプルな感覚が人生に起こってくる様々な物事を乗り越えさせてくれる。
だからこそ祖母は僕に徹底的に「チャンとする」ことを叩き込んだのだと思う。

ともすればまとまりなく混沌としがちな自分のよりどころを
しっかり身のうちに持つことが「チャンと生きる」ことなのだと
祖母は僕に伝えてくれたのだと思う。

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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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