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ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

毎日新聞に出ました

本日(3月30日)の毎日新聞の環境面(9面)にRainamaker Project の記事がでかでかと載っております。

Rainmaker 毎日新聞
でも見ることが出来ますが、出来れば新聞を買って見てください。

よろしくお願いします。
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毎日新聞にRainmaker Projectの記事が載ります

明日(3月30日)、毎日新聞にRainmaker Projectの記事が載ります。
2月のケニアでの活動が環境面に掲載されます。
新しいステージについての詳細が乗る予定です。

その次のステージも実行に移します
その名も「Turkana Prject」
詳細は近々に発表します。

動きが大きくなって来たRainmaker Projectにご注目ください。

鼻が利くうちに

臭覚というのは、人間の最も原初的な感覚だという。
人が生き死にの境にいる時に、例えば花の香りを嗅がさせて「いい香り」と言えば生きるし、そうでないと言えば死ぬ。

という話を聞いた事がある。

そういえば僕も18歳の時にひどい交通事故をやり死にかけた時、最初に戻って来た感覚は臭覚だった。

狭い所に閉じ込められたような感覚を遠くで感じている。
ラジオのノイズが生き物のように僕に語りかけている。
何もないただ真っ暗闇のなか、僕はその変な音に見下ろされていた。

すると突然、「潮の香」がした。
そこは海沿いの道だったのだ。

その途端、その「変な音」は「大丈夫ですか?」という声に変わった。

生命とは面白いものだ。

「鼻が利く」という言葉がある。
勘の鋭い人を表現する言葉だ。

僕は花粉症を克服して十数年経つけど、
それでも東京に出るとくしゃみが出るときがある。

鎌倉の自宅の裏には杉の森のがせまっている。そこで暮らしている時はなんでもないのにね。身体を全体運用せざる負えないような生活をすると、不思議と免疫がバランスして来るみたい。でも東京ではバランスを取り直さなければならないのだろう。

そこには人の暮らし方や生き方のヒントがあるように思う。

まず自分の生命を機械になぞらえて捉えるのやめるのが先決でしょうね。
機械なら壊れた部分を交換出来るけど、人間は難しい。
交換したからと言ってメーカー保証は受けられない。

僕も鼻が利かなくなったら、引退して消滅します。

本日、NHK WORLDにて放映!

Rainmaker Projectが本日、NHK WORLDにて放映されました。

ついに本プロジェクトも第二ステージにステップアップ。
いいタイミングで情報が世界配信されることになり、スタッフ一同喜んでいます。

日本以外の世界中に配信されていますが、残念ながら日本では観れません。
しかし、webの方では一週間程観れるようです。
NHK WORLD

世界配信なので英語です。
よろしくお願いします。

中心放浪の行方

風邪が治らない。

2月の非人道的なスケジュールと真夏のケニアと日本との気温差に祟られてはっきりしない体調の日が続いている。

それはさておき、
「中心」という言葉についてなんだか考えている。

僕の下腹部にはソフトボールくらいの大きさの鉛のようにずっしりとした感覚がある。まさに「中心」という感じなのだが、この話しをするとその事にとらわれてしまい、これを獲得したら全て大丈夫になると誤解している人がいる事に気づいた。

確かに「中心」を獲得したら全て大丈夫という感じになるのだが、肝心の「中心」を獲得するためには、まず全て大丈夫という状態を作らねばならない(笑)

これは当然、日々の生活や生き方が作っていくものだ。
僕の生き方は所謂「給料取り」のそれではない。
だから人生そのものには計画はたたない。
また、たてたいとも思わない。

自分でありとあらゆる事を考えて行動していく。
僕のような人間にとってそれ以外に方法があるのだろうか?

「もっと物事を整理した方がいい。たくさん抱え込み過ぎだ」
とアドバイスしてくれる人がいるけど、こういった人たちを僕は友好的傍観者と呼んでいる。

「給料取り」でない人間はありとあらゆる縁や可能性との出逢いが生命線となる。何が金や糧を生むか分からない。だから僕はあらゆるものを背負っていくのだ。重荷とも思わない。宝の山と思えば重くない。消えていくものは自然に消える。消えてもまた関係して来る事だってたくさんある。

「中心」の働きとはそういうものだ。
ありとあらゆるものを背負いながら、
しかもそれがしたたかにバランスされながら運動していくこと。

傍観者は抱え込んだものを下ろしても給料は残る(笑)
でも僕たちはそうはいかない。
今抱え込んでいるものから何とか日々の糧を産み出さねばならない。
この差は大きい。

「中心」がうまく機能しているかどうかはやっている事が何とか動いているかどうかで判断出来る。

実際にプロジェクトに「身銭」を切って積極的に参加している人たちがいる。
資金や技能等をプロジェクトの振興のために提供してくれる人たちだ。
何と言っても「現場」に直接参加してくれるのでありがたい。

そういう人たちはどういう風に流れが産み出されるのかという事に直接触れるので、友好的傍観者とは違って僕にもっともっと抱えるように仕向けて来る(笑)

でも僕の方もだんだん鍛えられて来ているので、こう見えても背負い込むものは意外と整理されているのだ。ただ量は半端ないけど。。

「中心」の面白さはそれが機能している時は意識される事が無いという事だ。
中心感覚が消えた時にそれは働いているという事なのだ。

中心とはそういうものなのだ。

「?だから?」という論理構造が機能せず、唐突にそれは成就する。もちろん成就のレベルや質はあるが、とりもなおさず成就する事で次の道が見える。

稽古で中心を感覚する仕方は身につけられるかも知れないけど、それだけでは全然だめだろう。結局は裸一貫で生きるという自覚を持たざる終えないような生き方をするしか無い。

もちろん「給料取り」だってそういう生き方は出来る。
要はスーツを脱いだら「ケダモノ」なのかという事なのだと思う。

いつ首になっても生きのびていけるなら、あなたは「ケダモノ」です。
でも、のたれ死にすることもある事をお忘れなく。
いずれにしてもそういうものなのです。


という訳で最後に中心放浪者の皆さんへアドバイス。

自分をいつもだめだだめだと言っている人。
(弱々しさが図々しい)
いつも人を馬鹿にしている人。
(弱々しさが気に障る)

こういう人はえてして強くなろうとします。
これが間違いのもとなんじゃないかしら。

弱々しさを「面影」や「風情」といった所にまで高めてみたらどうでしょう?
弱いという事は決して欠点だけとは言えないと思います。

僕の言う「ケダモノ」というのは実は自分の弱さを単純に自覚している人たちのことをいうのです。

それが野生なのです。生命の限りない危うさ、脆さを自覚している。野生はその強さの裏に必ずフラジャイルの札がぶら下がり、その弱さの傍らには計り知れない生命の不思議が潜んでいる。

強さと弱さは共存しているのです。
要はどちらを向いているかという事だと思います。

負を生かす。
これが中心放浪者の到着駅の名です。

ケニア活動報告のお知らせ

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先日のケニア行きの報告会を行います。
NHKのTV取材も入りますので、
皆様ふるってご参加ください。

以下、本文です

Rainmaker Project
『緑の大地から?Rainmaker ケニア活動報告』開催のお知らせ
http://www.rainmaker-projects.com/


去る2月17?25日、Rainmaker Projectは粘土団子ワークショップと播種のため、ケニアで活動してまいりました。

今回は横浜国立大学院環境情報研究所の藤原一繪教授の協力のもと、ナイロビ大学の植物学者、サイモン・マテンゲ氏、パトリック・ムチーソ氏両氏との持続可能な森林作り協同プロジェクト"SATOYAMA SYSTEM"第一弾としてナイロビ郊外のOngata Rongai(オンガタ・ロンガイ)にて、地域住民の皆さんと共に粘土団子作製と播種を行いました。また、Kibweziのムイタシャーノ小学校でも子供たちと共に実施し、田口製作所のソーラーシステムを寄贈しました。
地域の子供達の教育の向上の一助になればと願っています。

このたび、帰国後の報告も兼ね、3月6日(金)、横浜市中区のZAIMにてイベント『緑の大地から?Rainmaker ケニア活動報告』を開催いたします。
今回も活動の様子をたくさん写真に収めてきています。
中でも、粘土団子の作り方を聞いている子供たちの真剣なまなざしはとても印象的。当日はなるべく多くの写真や映像をご紹介したいと思っています。

是非お誘いあわせの上ご来場下さい!

詳細はこちらでもご覧いただけます:
http://www.rainmaker-projects.com/
28340681_1433289979s.jpg

日時: 2009年3月6日(金)  18:30 開場 19:00 開始
場所:ZAIM 別館 2F ホール  (横浜市中区日本大通り34)
http://za-im.jp/php/modules/info/rewrite/tc_7.html
主催:NPO法人 横浜アートプロジェクト
   Rainmaker Project
http://www.yokohama-artproject.com/
共催:ZAIM FESTA 2009 実行委員会 
協力:ZAIM (財団法人 横浜芸術文化振興財団)   YCAP
入場料: 無料  (ドネーション歓迎)
出演:  藤原一繪 横浜国立大学教授 (植生学)
http://kenkyu-web.jmk.ynu.ac.jp/Profiles/0013/0000217/profile.html
榎田竜路 NPO 横浜アートプロジェクト理事長
Rainmaker Project 代表
ナビゲーター : 川崎義博 (東京芸大 J-WAVE サウンドデザイナー)  
http://www.soundbum.org/
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【内容】
1 オープニング: RAINMAKERメディアアート上映
2 イントロダクション:
ナビゲーター/川崎義博 
世界を旅して自然の音を録音して来た川崎氏。今回のケニアでの印象、ボルネオの森の事、チュニジアの砂漠(300年前は緑の大地)の事など世界の森と森林減少について音と映像を交えつつ語ります。

3 活動報告: 各パネラーよりケニアでの活動を報告。
榎田竜路 
Rainmaker Projectについて、今回のケニアでの活動をメインに、これまでの活動を振り返りながらケニアへの思いを込めて、音と映像を交えてお話します。

藤原一繪教授 
世界の砂漠化の実情、ケニアでの実情について、『植生学』という専門的な見地から、これまでのご自身の経験を織り交ぜながらお話します。 

4 トークセッション  3人でエピソードを交えつつ話します。
5  質問コーナー

中心と主体性

前の日記に関してたくさんの質問を電話やメールで受けたので簡単に再説明させていただきます。

中心を身のうちに持つことができると主体を超えることができます。

よく主体性を発揮するという事を聴きますが、主体性を発揮するという事はある意味、関与度を最高度にするという事で、これは野暮の極地です。(野暮とは近接の過剰を意味する言葉だと思います)

自然発生させるためには主体性が消えなければならない、しかしそのためには自分の中にしっかりとした中心が無ければならない。

これは内観的身体技法の錬磨と、不可能を可能にするような現実の事業を起こす事で感得することができるはずです。

いくら稽古を積んでも社会的な活動能力が低ければ、ウンコたれ以外の何者でもありません。稽古は誰でも出来るし口ではなんとでも言えるからです。

不可能を可能にするような事業を現実に自然発生させていく。
そしてそれを次々と次のレベルに自然発生させていく。

主体性を意識出来る段階は合目的に「自然発生」する事が困難です。
ただの自然発生ではなく「合目的」な自然発生というのがポイントです。

映画に例えると、プロットは論路的に作られているが全体のストーリーは矛盾や不条理を吐き出しながら流れていく。

部分の論理性が必ずしも全体のそれを保証しない。
映画の主体性がどんどん消えていくことで、観客を巻き込んいくダイナミズムが発生していく。しかし振り返ればそれを支えていたのはしっかりとした中心感だった。万葉の世界もそうですね。いい映画は面白いものです。



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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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