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ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

あわれとあっぱれ

公家の世界では、モノの「あわれ」だったもの武家の世界では「あっぱれ」になったということを聞いた。

「あわれ」と「あっぱれ」

生まれたものが消え行くさま

それは一生

一生が消え際なのだ。

その消え際の有り様

有り様はつづめていえばその観察者に依存する

観察者問題

僕はどちらの立場も好きだ

言葉はシニフィアンとシニフィエだけで説明出来るものではない

その説明不能な背後性

言霊としか言いようのないもの

それを見出した先人の感性に感服する。
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ご来場ありがとうございました

日中韓共同・横浜開港150周年記念映画「3つの港の物語」のプレミア上映が無事終了いたしました。

たくさんの皆さんにお越しいただきました。
この場をお借りして御礼申し上げます。

予想以上の反響に関係者一同驚いています。
今後の活動に大きな弾みが着きました。

これからも本作品の全国での上映を始め、中国、韓国での上映も進めて参ります。また世界の映画祭にも出品していきますのご期待ください。

最新情報は
http://www.movie150.com/
にアップしていきますので、時々チェックをお願いします。

ご来場くださったみなさま、本当にありがとうございました。
これからも応援よろしくお願いいたします。

文明再起動計画

文化は感覚の共有。
文明は技術の共有。
と私は理解している。

当然両者は重なるところが多々ある。
フォーカスをどこにするかで呼び名が変わる。

私が小さい頃はいわゆる「パニック映画」の全盛期で、
高度経済成長の「落し子」としての環境破壊や公害、あるいは天変地異等をモチーフにした映画がたくさん作られ、テレビでも「日本沈没」等の話題がまことしやかに取りざたされていた。

子供心に深い不安感を植え付けられた。

それが rainmaker projectへの熱情につながっているのかもしれない。

技術をどう使いこなすのか?
それに伴うモラルや感覚をどう養うのか?

福岡さんは、「人間は何もする必要はない」と言った。
私もそう思う。

だけど今、それを「せいの」でやってしまったらきっと多くの人が死ぬだろう。

電気をやめれば電車も病院も全て止まる。
水道をやめたら?
ガスをやめたら?

「何かをやめたらエコにつながる」と本気で信じている人がいる。
僕も始めはそうだった。
だけどそこには「経済」の現実が抜け落ちている。
やめてすむなら誰も苦労しない。

「割り箸」を悪者にするのは容易い。
だけどその「業界」で食っている人がいる。
そこで働く人たちには家族も子供もあるかもしれない。
誰かを「悪者」にして済むなら誰も苦労しない。

何かをやめるためにも順序と準備がいる。
だけどそれをどこから始めたらいいのか生活基盤が複雑に絡み合いすぎて分からなくなってしまっているのが現実だろう。

スローだのエコだのロハスだのとお題目は出そろっている。
もちろん「信教」の自由は保証されるべきだ。
そのお題目のもとで食っている人たちも大勢いるのだし。

しかしお題目を唱えるなら、さらにその先にある困難の解決に乗り出さなければならない。

「きっと良くなる、全てはうまく行く」と、1日8時間アファーメション(心の中で唱えること)するよりも、1日7時間59分くらいを現実の問題の解決に関わった方がよっぽど心の安定につながると思う。

地球の現実は甘くない。
私はケニアの荒野やスラムでそれを実感した。

「着地点」を見出すこと。
それに尽きる。

それを複雑怪奇に絡み合った現代世界の中で見出すためには基本に戻る必要があるだろう。

基本。

それを私はツルカナ湖に見出した。

人類発祥の地とも言われるこの付近一帯は、激しい旱魃に見舞われ、
砂漠の一途を進んでいる。

ここに「現代科学の粋」と「感覚技法」に基づいたを新しい文明のあり方を模索することが出来ないか?

最小限のエネルギーを使い、ローテクとハイテクの配分を見据え、
出来る限り還元可能な素材を使う。
巨大な森を育て、自然の力を最大限に活かしきった「文明」。

夢だけど夢じゃない。

「ツルカナ湖の涵養森をつくる」という明確な目的を立ち上げ、
そのために必要な措置を行う。
そこは人の生まれた場所。
でも今は人の住めなくなった場所。
そこに人が住めるようにしていく。
「森を作る人たち」が快適に暮らせるインフラをどう生み出すか?

これが新しい文明を生み出す基本コンセプトとなる。
文明とは「人が生き延びるための技術」の共有のことだから。


というわけで、まず手遅れなのかどうなのか確かめる第一弾として、現地の詳細な調査を9月に行います。

もっともっと身体を鍛えとかなきゃ。。。
もう十分ですという話もあるけど(笑)

不動産業に進出?

日本は調和の中に美を見いだして来た文化を誇る国だった。
しかしその辺を見渡せば分かる通り、グロテスクな住宅群がそこかしこに周りの地形や景観、はたまた伝統や歴史等を無視して建てられている。
どんな住宅を建てようが自由だが、自由だからこそ「センス」が問われる。
一生を縛られるほどのローンを組むのだから、もっとなんとかしようがあると思うのだが。

数年前、カナダのバンクーバーとカルガリーのジャズフェスティバルに出演した。
忘れられないのはその住宅群と景観との調和性の高さだった。

特にカルガリーの郊外では森の中に住宅群が非常に美しく配置され、その裏には丹沢の山奥と変わらない渓流が流れている様を見て腰を抜かすほど驚いた。

その後帰国して成田からの道のりで眺めた日本の住宅群に強烈な違和感を感じた。

景観が人の心理に与える影響は大きい。
そのうち不動産業にも手を出そうと思う(笑)

分水嶺

誕生日。

ずいぶん長いこと生きて来た。
永遠に生きて来たような気がする
だけど人生確実に半分過ぎた。

時間ってなんだろうね。
アインシュタインに訊いてみたいね。
永遠、無限が身近に感じる。
愛も感じる。
誕生日。
タン、タン、タン、誕生日。
今まで生きてきた時間がはっきり見えた。

残りの人生を全力で生ききります。
これからはパワーの無い奴は近寄らないほうが良いかもね。
パワーのある奴に会ってみたいね。
弱音も吐かず、淡々とやり続ける奴。
偉ぶらず、能書きもたれず、黙ってやる奴。
本当のアーティスト。
そう言えば今時みないな。
本当のArtist。

それ以外の奴とはつきあいたくない。
これが分水嶺を過ぎた男の本音です。

残りの人生で出逢いたいのはArtist。
残りの人生でつき合いたいのはArtist。
残りの人生で一緒にやりたいのはArtist。

時間というものが始めて身のうちの感じることが出来た。

「3つの物語」上映試写会のお知らせ

日本、中国、韓国の三国を代表する映像教育機関を卒業した若手監督にオムニバス映画が出来ました。

上映会詳細はこちら

我々の主催する「横濱学生映画祭」で培われた友情からこの映画は生まれました。

日本、中国、韓国の三国は地理的にも歴史的にも深い関係があります。
この地域ブロックは地球規模で考えた「安全保障」「環境」「経済」等だけを見ても非常に重要な地域です。

この三国の相互理解を深めるためにもメディアが先導していくことの重要性を僕は実感してきました。

今回参加した各国の映像教育機関はそれぞれの国の「メディア界」に人材を多く送り出している学校です。次世代を担う非常に優秀なの人材の宝庫です。この「宝庫」達が相互交流を深めることは非常に重要だと僕は考えます。

この映画をきっかけに映画だけでなくメディアアートやPV等の共同製作と配信のプロジェクトがぞくぞくとスタートし始めています。

メディアやアートを通じた交流をこれからもがんがんやっていくつもりです。

「横浜開港150周年記念」という近代の節目の年にこの映画が完成したことも大きな意義があると感じています。

アジアの未来に興味のある人は是非お越し下さい。


ヨチヨチとウロウロ

小学校の低学年で学ぶことを一言で皮肉れば、「じっと座っていられるようになること」ということになるだろうか。

「子供の心臓は10歳ぐらいになるまでは体の大きさに比べて小さい。だから子供はじっとしてられない。じっとしていると苦しくなるからだ」と昔、どこかで聞いた。

根本的にカリキュラムのあり方を考える必要があるんじゃないかな。。
「集注」と「発散」の波をうまく取り入れられたら革新的に子供の力は伸びる。これは集団教育のコツだ。

「基礎体育」にもっと注目した方が良い。
今の子供は歩けるようになってもベビーカーに乗せられる傾向がある。
これは親の都合で、その時期にしか獲得出来ない子供の基礎体力を奪うことを意味する。ここに気付いている親がどれくらいいるのだろう?


「体育会系」という言葉は侮蔑の意味がある。
これは僕も理解できる。
西洋流の身体認識に基づいた「繰り返し」による体力の獲得。
「苦」による身体育成とでも言えるだろうか。
これにある種の嫌悪感を抱くのはまともだと思う。
しかしだからと言って「体育」をないがしろにして言いわけが無い。


ぼくの言う「体育」は「合理的な身体運用の獲得」を目指すものだ。
「楽」を目指す身体運用法、「生活」の中にある体育に注目すべきなのだ。

つらい労働を楽にする身体の使い方、道具をうまく使える身体の使い方。
身体をひとつにまとめて動かすことを我々は生活から学んで来た。

これが文化の底流をなしている。
身体感覚の共有が文化そのものだから。

機械化が進み「便利」になってくるとこの身体文化が変容して来る。
人類の歴史上瞬き程も無い期間でこれが進行した。

それはいろいろな歪みとなって現れて来ている。
しかし、どんなに機械化が進んでも子供の成長を阻害することは出来ても促進することは出来ない。

それは何にも頼らず自分で獲得しなければならないからだ。

子供が成長して来るとまず寝返りが打てるようになり、それから座ろうとするようになる。それが出来るようになると「ハイハイ」し始める。それによって脊椎の機能が飛躍的に高まるらしい。

次はいよいよ「立ち上がる」という段階になる。地球上のどの動物よりも高度なバランス感覚がそれにより発現して来る。それまで獲得してきた身体能力をフルに活用し立ち上がろうとする様はまさに感動的だ。

すると今度は歩こうとする。
ヨチヨチヨチヨチ歩こうとする。

ハイハイで行った方がよっぽど早く移動出来るだろうに、
ヨチヨチヨチヨチ歩こうとする。

この「ヨチヨチ」こそ合理的な身体運用を身のうちに発現させるプロセスなのだ。

これは大人になっても変わらない。
最初は「ヨチヨチ」から何でも始まるのが人間だ。

時々これを嘆く人がいる。
「ヨチヨチ」にならずに「ウロウロ」している人だ。
そういう人は成長しない。

そういう人は四の五の言わず合理的な身体運用法を稽古すれば良い。
すると不思議に生活から雑音が消えていく。

僕は「ヨチヨチ歩き」を嘆いている赤ちゃんを見たことが無い。
みんな楽しそうだし興奮している。

僕は自分の「ヨチヨチ」を大事にしたいし、誰かの「ヨチヨチ」を応援したい。

だけど「ウロウロ」には付き合う気はない。





「お笑い」ではなく「笑い

「Good News Only!」の企画を進めております。

いろいろ考えているうちに、
「お笑い」では無く、「笑い」をメディアにのせていく事の大事さに思い至った。

「お笑い」は芸人が提供してくれる笑い。
基本は自分か他人を「おちょくる」ことで笑いを取る。これはこれで面白い。
だけど Good News Only !で取り上げたいのは、「お笑い」ではなく「笑い」の方だ。

「笑い」は普通の生活の中にある生きる喜びの現出。
「小さな事が大きな差を生む」のは諸行無常のこの世の定め。
小さい喜びを大事にしない事が世の中を暗くしてるんじゃないかな?
なんて事を考えてたら、おなかがあり得ないくらい大きな音で「グーッ」と鳴いた。それを聞いた子供達がおなかを抱えて笑い転げる。つられて僕も笑ってしまった。

「つられる」というのが人間のコミュニケーション能力の源泉だ。
だから暗いニュースにも「つられて」しまう。

こりゃ大量にいいニュースばっかり流すしかないね。。

「24時間良いことばっか!!」がGood News Only!のキャッチコピーです。
まずは沖縄と石川、愛媛から。
着々と行きまっせ!!!

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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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