ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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浮いて結構

人の感覚の多様性が失われているのに、どうやって内需を拡大するのだろう?

自分の価値観は自分で決めることが出来る。
価値観の幅や質を豊かにすればする程人生は豊かになる。
自分次第でどうにでもなる。

しかし現実はそうはいかないようだ。

小津安二郎の「お早う」という映画のなかで、
登場人物がテレビ時代の到来についてこう語る。
「一億総白痴時代という人もおりますな」
50年前の映画だ。

情報の発信者がテレビという強力な洗脳装置を使って価値観を操作する時代がやってきたのだ。


先日参加したあるイベントで奇妙な体験をした。
何万人という人が集う野外フェス。
そこに来ている人たちの無個性さ。
同じ顔をした女子達、
その子達に引っ張られるヘリウム風船のような男子達。

こぎれいではある。
しかしなんというかオーラが薄い。

「こうすれば個性的に見えます」という「情報」に素直に従う人々。
個性的であろうとして集団に埋没してしまう皮肉。
個性的というのは少なからず「浮いた」感じを周りに与えるものだ。
でも浮くのはいやなのだ。
ただそれだけなのだ。
だからオーラが薄いのだ。
ただただこぎれいなのだ。

北京に行くとこうはいかない。
人々は生命力に溢れている。
そこに生きる人たちのオーラも実に多様性に富んでいる。
商売もそこいらで激しく行なわれている。
「あなたいつの時代から来たんですか?」
というような人がたくさんいる。
もちろん僕の生徒達は今風なファッションに身を固めている。
しかし人間の出すオーラが個性的だから、
存在が埋没することがない。

それは僕の偏見が産み出した妄想なのだろうか?
でもそう感じているのは僕だけではなかった。
「なんかみんな同じに見えますね」
と一緒に行ったスタッフが口を揃える。
そのことがかえって僕を憂鬱にさせた。

どうやら僕の偏見というわけではなさそうだ。
不特定多数の人たちが集まることで、その傾向がはっきりして見えただけだ。

自分の価値観を人から操作されていることに気がつかない。
情報汚染。

解毒の方法はあるのか?

もちろんある。
丁寧なメディア教育を学校教育に早い段階で入れるというのもそのひとつ。
しかし壁も多い。

これをこっそり突き崩せていけないか?
ということばかり最近考えている。

「浮いて結構」という人たちが闊歩する社会。
面白いと思いません?
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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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