先日、愛媛において開催された「第2回ローカルサミット」
ここでは企業人、官僚、政治家、農家、漁師、教師、医師、大学教授、芸術家、主婦、フリーター、マスメディアと行った様々な人たちが集い、共同で語り、飲み、食べ、意見を戦わし、政策提言を練り上げました。
僕もパネラーとして参加し、地域メディアのこれからについて提言をしてきました。
素晴らしい出会いがたくさんありました。
一緒に行ったオーストラリアのアーティストのルビー・トーマスさんが「ここはヒッピーの集まりなの?」と思うほど、そのテーマは徹底的に「生命」に根ざしたものでした。
平和が欲しければ具体的に動かなければなりません。
何かに反対するのなら対案を示さなければなりません。
しかも具体的かつ説得力があり、なおかつ全体の利益になるようなアイディアをしぼりださなければならないはずです。
いわゆる「お花畑系」とは全くかけ離れた、現実を見据えた、能力の高い、すでに実践し実績をあげている人たちが集い、具体的に活動に落とし込んでいく姿は僕にどれだけの勇気を与えてくれたかわかりません。
Rainmaker Projectのようなことをやっていると、たくさん変な人がやってきます。しかし彼等は決して自分が中心となって何かをやろうとはしません。
先日参加した音楽イベントも、テーマは「木を植える」ということでした。
でもそれに対する具体的な提案をし、それを事業にまでしているのは我々だけでした。
歌を歌って森が出来るならいくらでも歌います。
もうそろそろああいうイベントに参加するのはやめないとなと本当に思いました。
記念植樹をいくら世界中でやったって砂漠化など防げる訳がないでしょう。
経済や政治、その他諸々のことが複雑怪奇に絡み付いてこの世界はこうなっているのです。
本当に「お花畑」が欲しければ、地獄を潜らなければたどり着かないこともあるのです。普通にビジネスマンをやっている人間ならすぐに分かる理屈です。
という訳でリアルな人たちのリアルな狼煙を披露します。
ここから確実に生まれるものがあります。
なぜなら彼等は生活者であり、リアリストであるからです。
興味がある方はご一読をお勧めします。
具体的に動いていきますよ。
僕も現に医療の世界と教育の世界で「映像メディア」を使って変革を促していくことになりました。
また新しい領域に進みます。
第2回ローカルサミット宣言
昨年の第一回とかちローカルサミットに続き、今年もまた全国から志民が、四国松山・宇和島に集った。
昨年のローカルサミットの際にグローバル資本主義に起因する人類・地球・いのちを巡る諸問題を提起した。昨年秋のいわゆる100年に一度といわれる金融危機によって、それらの問題が一挙に表面化した。お金が主人公となり、経済効率性と利潤を追求する市場原理主義、グローバリズムが行き詰まり、人間の物的欲望充足を追求してきた物質文明が終わりを告げようとしていることを肌で感じつつ、そこから抜け出せない我々がいる。新たな時代・新たな文明をどのように紡ぎ出していくのか、悠久の時間に思いを馳せながら、車座になって、熱く語りあった。
ここに参加者を代表して、全国、全世界の志民に向けて、次のように宣言する。
我々が扉を開けようとする新たな文明とは、全てのいのちがこの美しい地球に育まれていることを強く感じる人間からなる。人間や動植物のみならず、天地を形づくる地水火風空すべてにいのちが宿ることを感じて祈り、己を含めたすべての多様ないのちの輝きに感動し、それらが時空を超え一つの大いなるいのちとして結び合い、輝いていることを心が了解する人間である。そして、土に根ざし、生と死からなるいのちの営みを営々と紡ぎ、伝えていく社会からなる。
それは、我々日本の民衆が、縄文以来の稲作漁撈文明のもとで培い、守ってきた自然観、世界観に他ならない。「利他の心」と「慈悲の心」に立脚した生命文明、すなわち、人と自然との共生、すべてのいのちが繋がりあう文明こそが、新たな文明の核心となろう。物質文明を支える経済活動は有限であるが、大いなるいのちの輝きの価値は無限である。そして、いのちの輝きは祈りをこめた手仕事に結晶する。
「いのちが繋がるものづくり生命文明」は、「確かな未来は懐かしい過去にある」という確信に裏打ちされた「逆ビジョン」を携え、それぞれの生と死を見据えるローカルな地域を基点に、人と自然、人と人、世代を超えてのいのちの、新たな結び合いを紡ぎつつ、それぞれの地域で共生、共創する志民によってこそ構築されるであろう。
我々志民は、こうした了解を共有しつつ、そこから具体的に持続可能な地域社会をトータルにデザインしていくために、いのちを巡る8つの分野につき、これまでの実践を踏まえて深く議論し、各分野について、以下のような具体的指針を提言することとした。
<食・農>
『志民が「農」とのつながりを見つめ直し、地域での顔の見える信頼関係を紡いでいく。土、水、作り手の多様性を大切にし、持続する環をつくり、笑顔で参加する志民を増やす。』
<環境・森里海連環>
『森里海連環基本法(憲章)の制定を行い、総合的な環境政策を実行する。経済性・効率性優先から、自然に対する理解と自然の側からの発想を基にした「生命文明」に考え方の転換を図り、江戸時代の循環型生活様式の知恵に学び、統合された一次産業の再生こそが日本の再生、環境問題の解決の鍵である。孤立した個別科学・縦割りの政策から転換し、統合された科学・技術に基づく総合的な政策へ転換を図り、各地域で実践していく。』
<まちづくり>
『私たちの手の届く範囲としての地域において、私たちが生き生きと活動することができる地域を志向する。そのためには、非市場経済的な価値観を前提に、ミッション指向型の行動を興していく。そのことが私たちに、賢明(懸命)に生きるに値する場所を啓示する。だからこそ、何よりもまず、私たちが、死民から市民へ、そして志民へと志向するとき、「まちづくり」活動は「まち育て」運動へ深化する。』
<産業・経済>
『地域の恵みを地域で楽しむ「地恵地楽」を提唱する。地域資源を丹念に育て、あるいは磨き込み、旨いモノ、美しいモノに仕上げ、世の中に伝えていく。内からの努力と共に、外(=よそ者)の力を受け入れ、互いに学び合い、伝え合う手間と時間が必要である。作り手がモノづくりに専念できる環境づくりも、必須である。そこで生まれた本物を世の中に出す「本質を伴った演出」がキーである。そこに新しい流通が生まれる。』
<地域金融>
『助け合い金融の機能をも担った無尽・講などの伝統の叡智に学びつつ、グローバルーマネーの複利・短期投融資の論理から脱却するローカルファイナンス(志民金融)を漸次、各地で、志民と地域金融機関、自治体との連携の中で創出していく。お金はそれ自身目的ではなく、いのちを紡ぐ手段であり、その時、リターンも、お金ではなく、感謝・信頼の証として得ることになる。高度に技術化した金融を手仕事の文脈でとらえ直し、金融にいのちのぬくもりを取戻す。』
<教育>
『次世代を育てる地域の学校教育においては、3つの力の融合が不可欠となる。「学校力」は、自然界が有する多様性を、学校という場を通じて子どもたちに自らのアイデンティティーを確認させ、他との関わり合いの中で共感的に理解をしていくことを可能とする力であり、「教師力」とは、教育的愛情と使命感を持ち、豊かな人間性を礎として子どもに関わり合い、子どもが自ら動くことを引き出す力をさす。そして子どもが身に付ける「人間力」とは、過去からの「いのちの繋がり」を踏まえ、自分の足元をしっかりと見つめ、その上で自らの次の行動を選択する力であり、家族や社会の一員として誇りと責任を持ちつつ、それぞれの才能を開花させる力である。』
<健康医療>
『自宅で生まれ、自宅で亡くなる例が減り、生と死を見つめる、あるいは感じる機会が失われてきている。「十分生きた価値があったと皆で讃えて、寄り添い、看取る」環境を、それぞれの地域で、住民自らが創りあげていくことが肝要である。老若男女、心身に障害のある方を含む全ての人々が、足るを知り、利他の心で支えあう「地域共助」が、持続可能な健康医療を支える礎となる。』
<アジア連携>
『ローカルかグローバルかの二極論から脱し、異なる視座を持つ者同士が発見し、協力することが多様な文化を残す唯一の策と考え、そのためにも、いのちをつなぐキラキラ人をつくりキラキラ人がキラキラ人を生む循環を構築していく。』
これらの各指針は、それを相互に連関させていくことで、持続可能な地域社会をトータルに構築していく基本設計となるものである。志民自らが、それぞれの地域で自治体や地域金融機関、商工業者、医療・教育機関、政治等の立場から、土に根ざし、いのちを分かち持つ同じ志民として役割分担をしつつ連携し、これらを実践すること、そして、地域を越えて志民と志民が相互に連帯していくことにより、確かな未来を切り拓くことができると確認した。
価値観の転換を伴うこれらの実践を通じて、我々志民は、グローバル化する市場経済や国家のみに依存するのではなく、地域における新たな結び合いをつかみ直し、無事でいのちが輝く暮らしを実感し、次世代に着実に地球のいのちを繋いでいくことが可能になるものと確信する。
平成21年11月23日