「道徳無き経済は犯罪であり、経済無き道徳は寝言である」
と、かの二宮尊徳先生は宣ったらしい。
さすがである。
そこからインスピレーションを得て、
「道徳は経済の源泉であり、経済は道徳の集積である」
と私は宣ってみたい。
道徳はCommunity Engagement を深化させます。
ルール、マナー、エチケット等々の共有が社会の膠になっていなければ、この世は闇ですよ。
例えば、未だにゴミを平気で投げ捨てたり、子供の前で平気でタバコを吸うような輩がいますが、「育ち」はどこかで修正しなければみっともない。
日本の経済状況は実は非常に強固なファンダメンタルに支えられているのだけど、ルール、マナー、エチケットという部分がもっと底上げされてくると、それがさらに豊かに生かされてくるのではないでしょうか。
投げ捨てられたゴミの処理にかかる費用は全国規模で観たら莫大なものになるだろうし。そういった道徳の欠如=智性の欠如がもたらす負債が減るだけで、教育や老後の安心に予算をまわすことが出来る。
道徳は思いやりの心です。
これこそ日本の社会と経済の源泉ですよ。
企業の活動はつまるところ、
「こうしたらもっと喜ぶだろう」
ということを「どう合理的に実現するか」に尽きるわけです。
「唯道徳論」とかそのうち出てくるかもしれません。
これこそ智性の働きです。
この智性は野生と感性に支えられている。
知育が伸び悩んでいるのは、野生と感性が生かされていないからで、それを今の学校教育に求めること自体、無理があります。
道徳は感じることで身に付いていくのです。
「おばあちゃんが電車にのって来た。立っているのがつらそうだ」
と感じるから、つまり同調するから、
「席を譲ろう」
となるわけです。
つまり、感性が無きゃ何も始まらないということです。
この感性と密接に連関しているのが野生です。
子供の野生を阻まないように育てる方法をもう一度考える必要がある。
大人の野生を取り戻す必要がある。
ではどうすればいいのか?
私に電話してください(笑)