ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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おとぎ話

人はパンのみによって生きるにあらず、
思い込みによって生きるなり。
思い込みがあれば案外生きていける。

おとぎ話を大人になると話さなくなる。
リアルな世界に生きなければならないからだそうだ。

僕は思う。
リアルは人それぞれ。
他人のリアルがおとぎ話に見えることも少なくない。
それはお互い様。

結局「リアル」もおとぎ話の一種でしかない。
おとぎ話の中で人が撃たれて死んでいく。

そんなおとぎ話はごめんだ。

僕はおとぎ話を作りたい。
誰のためでもなく自分のために。

そのおとぎ話に共感する人が増えていく。
思い込みはエピソードになる。
パンはみんなで分けて食べる。
泣いていた子供の瞳に好奇心の光がともる。
引きこもった心に哲学が芽生える。
年を取ることが尊敬を産む。
化粧をおとした女性の顔にほっとしてみとれる。
砂漠化した大地に粘土団子が蒔かれる。
雨の香りを風が運んで来てあわてて軒下に逃げ込む。
言葉を無くした世界が一つになる。
虹が二重にかかる。
鳥が空の果てを目指し羽ばたく。
もう会えない誰かの声が聞こえる。
未来の思い出が語りかける。
水と土が触れ合う場所で生命の氾濫に呆然とする。
誰かを支えることに無上の喜びを感じる。
育ち行くものを見つめる眼差しが自分に注がれるのを感じる。
子供がたどたどしく文字を読む。
何故か何故かそんなことが嬉しい。
無性に嬉しい。

人は嬉しいことをたくさんやってればいい。
想像でも空想でもなんでもいい。

そうすればリアルはおとぎ話の話を聞く。
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野のケダモノを観ればすぐ分かること

知識は感覚化されて初めて智慧になる。

昨日、台湾のプロデューサーと話をした。
台湾では国家プロジェクトとして、海外映画の招聘や国内映画の育成にに努めているらしい。

彼女は国の厳しい選考に勝ち抜いた30名のうちの一人だ。

プロデューサーの仕事というのは、
教科書がある訳ではない。
だいたい「プロデューサー」という言葉自体定義が曖昧だ。

世間は「プロデューサー」で溢れている。
映画プロデューサー、テレビプロデューサー、
社内プロデューサー、ITプロデューサー
地域活性プロデューサー、ソーシャルメディアプロデューサー等々。

彼女と一致したプロデューサーの定義は、
「全責任を負う」という役割。

もちろん他にいろいろ仕事はあるけれど、
プロデューサーの仕事を突き詰めるとそこになる。

彼女がトラブルが起きるとストレスになると言ったので、
トラブルの対処法を伝授した。

何かプロジェクトで問題が起きたら、
さらに大きなプロジェクトをを起こせば良い。

その効果は二つ。

1、初めのプロジェクトのトラブルが小さく見えるようになる。

2、より困難な状況に身を置くことにより能力が上がる。
すると初めのプロジェクトのトラブルを解決する能力を身につけることが出来る。

それくらいの気概が無ければ「プロデューサー」などならない方が良い。

僕は意識的にそれをやって来たのではなく、
どんどんそういう状況に追い込まれ、関わるプロジェクトが巨大化、複雑怪奇化していった。

それに対処しているうちに知識は感覚化され智慧になってきた。
すると智慧ある人たちが集まってくるようになった。

此れは自然現象なのだと思う。


「困難」はそれに囚われて、他の解決策に目がいかない時に感じることが多い。
最悪やめてしまえば良いのだ。
健康を阻害してまでやる価値のあることなどこの世になるとは思えない。

野のケダモノを観ればすぐ分かることだ。





三つの秘訣


「物事のいい面を見出す」
「人のせいにしない」
「動くところから動かす」

これで大抵の事はうまく行く。

そのどれか、またはすべてが崩れても、
サッカーの試合でフォーメーションを立て直すように、
一つ一つを整えていく。

その繰り返しで大抵の事はうまく行く。



やっぱりケダモノ力

10年程前ジャズフェスティバルに参加するためにカナダに行った時のはなし。

まずカルガリーに飛び、そこからロッキー山脈越えでジャスパーまで車で旅行した。

そこで面白い体験をした。

ある滝(名前は忘れた)を見学に行った。
車をドライブインに止め。少し歩いて谷底に下るとその滝が観れるのだが、
その階段は急で手すりも粗末なものだった。

降りる時に本気でバランスをとらないと滝壺に真っ逆さまという恐ろしいコースだったのだ。
足はすくむし、滑るし、巨大な水はすぐ隣を落ちてるしと、
まるでインディー・ジョーンズの世界。

やっとの思いで滝壺まで辿り着いて滝を見上げた。

その時のその滝の美しと荘厳さと言ったらなんと表現したら良いのだろう。

冗談抜きで「命がけ」で降りて来た僕の感覚は研ぎすまされ、
五感すべてがそそり立つ思いだった。


その巨大な滝は僕の中に直に流れ込んできた。
僕と滝は分ちがたく一つになっていた。

しばし呆然。

そしてまたあの恐怖の「階段」を上っていった。

感覚を研ぎすましたければ、どうすれば良いのかということを僕はその時学んだのだ。

その日の夜、ポスターでよく見る緑色の湖のあるところで泊まった。
5月カナダは夜が来るのが遅く。
10時を過ぎてもまだ夕方のような明るさだった。

僕はジャズフェスに備えて湖のそばの丘の上でギターの稽古をしていた。
濃緑の湖と雪をかぶった岩山。現実とは思えない程の美しい景色を前に僕はひたすらギターを弾いていた。

すると風の向きが変わって、動物の匂い僕のいるあたりに運んで来た。
牛に似た匂い。

「カリブーかな?」と思ってなおギターを引き続けていると、
今度は全く異質の匂いがして来た。

それは初めて嗅ぐ匂いだったけど、
その匂いの元の生き物は巨大で凶暴だということが何故だか僕には分かった。

そんなに遠くでないところに「それ」はいるということを僕はその匂いから嗅ぎ取ることが出来た。
おそらくカリブーを追っているグリズリーだったのだろうと思う。

僕はギターを担いで静かに丘を降りていった。

感覚を研ぎすまさなければ生き残ることが出来ないこともあるという事を、
人間は死ぬ程思い知るべきだと思う。

自然が如何にかけがえのないものなのか、
我々自身もまぎれもなく自然なのだということを。

やっぱりケダモノ力がなくちゃね。
話にならない。

格に入りて出ざるは狭く


人の直面するすべての問題は身体の問題だ。

「では身体を鍛えたら問題は解決するのですね?」

と問う人がいたら、それは身体の事を分かっていない人だと思う。
ここで言う身体能力といのは飛んだり跳ねたりする能力ではない。
筋肉を鍛えて人生の問題が解決出来るなら、
僕は今すぐスポーツジムの経営に走るだろう。

僕が一番憎むのは「無神経」ということ。
僕は「鈍さ」には我慢が出来ない。

そういう人には決まって「型」というものが存在しないか非常に希薄だ。
生き型、暮らし型、働き型。
の明確でない人は魅力に乏しい。


僕は「気が配れる人」にとても魅力を感じてしまう。
そういう人は感受性に富んでいて節度があるから。
そういう人の事を身体能力が高いと僕は表現する。


先日、twitterでいい言葉を紹介してもらった。

松尾芭蕉の言葉だそうです。

格に入りて出ざるは狭く、
格に入らざるは邪路にはしる。
格に入りてのち出でてこそ自在を得べし。

格とは「型」のこと。
「型」の使い方が明確に表現されている。
さすがとしか言いようがない。




幸福生活のすすめ

幸せとは豊かな感覚を持って日々を生きること。
それは物事の中に良い事を見いだす能力。
そういった意味では幸せは能力であり状況ではない。


物事の中に良い面を常に見い出そうとする姿勢を持つ。
単純なポジティヴ思考ではなく深い洞察力を伴ったそれは事態を改善し成功させて行く。
それは最高にクリエイティヴな行為。

偶然と必然の境が揺らぐ時、世界はその真の姿を現す。



感覚発動

今日IKEAに初めて行った。
広い店内にオリジナルの商品がセンスよく置かれている。
遠見に見ると良さげに見えるが、
手に取ってみると正直安っぽすぎる。

そういった意味ではユニクロと一緒。
本当に欲しいと思えるものが見つからない。
僕がユニクロで買えると思うのはヒートテックだけだ。
あとはみんな気に食わない。

中国製というのも気に食わない。

僕は中国で先生をやっているので、
中国の魅力は限定的といえども良く知っているつもりだ。

大好きな人も尊敬している人もたくさんいる。

だけど中国製品を買う気はしない。
どんなにデザインを小じゃれさせてもチープ感が拭えない。

中国の友人が日本に来ると、
Made In Japan を買い漁る。
彼らは中国製を忌み嫌う。

「せっかくお金を払うのだから良いものを買いたい」

中国の富裕層を車に乗せて鎌倉の自宅付近を走ると必ず彼らがいう台詞がある。

「日本人は親切だ」

道が狭いので、お互いを思いやったり、先を読んだりしながら、
待つ時は待ち、行く時は行かせてもらうという当たり前の事が彼らに取っては驚異的らしい。

一般的に中国人は「譲ることは負ける事」と捉えているらしい。
彼らは理解出来ないのかもしれない。
「他者を思いやる力」こそ日本の活力の原動力だという事を。
思いやる能力が高度であればあるほど、
開発力は向上しサービスは多様化し、社会の安全保障は高まる。
これは人間の能力の基本中の基本だと思う。

そういった細やかな感性や技術を生かした製品を日本で作ると
当然、中国製より高くなる。
日本は中国やインドのように国内に「植民地」を持っていないから当然だ。

多少高くてもいいものを買う。
その方が気持ちがいいし、長持ちするので結局は得をする。

そういった感性を磨きたいと、手ぶらでIKEAを出ながら強く思った。




調和

予定調和は嫌い。

未定調和で行く。

偶然と必然の境が揺らぐ時、世界はその真の姿を現す。

愛と隣り合い、重なり合い、解け合った憎しみが
この胸の中にあることに気付いてから

僕は生きることが楽になった。

調和を求めることはない。

好きか嫌いに関係なく、僕たちは常に調和の中にいるのだから。

この調和から逃れることは出来ない。

だから生きているうちは、そのダイナミズムを楽しめばいい。



自己悲惨禁止令

自分の状況がいかに悲惨であるかを延々と語る人がいる。

聞いているとこっちの方が自殺したくなるような話のかずかず(笑)

でも本人はけろっとして生きている。

僕はこう思う。

悲惨な状況ばかりに集注するとより悲惨な状況を呼び寄せる。

「戦場に咲く花」に集注していくと生きる力がわき起こる。

私の前では「自己悲惨」は禁止です。

「自己礼賛」も度が過ぎれば禁止にします(笑)

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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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