物は三点支持で立たさせることが出来る。
人間は二本足(二点支持)なのに立つことが出来る。
何故か?
見えない三本目の足があるからだ。
話は変わるが、
「技」と「技術」をそれぞれ僕はこう定義している。
「技」=art
「技術」=technique
「技」は感覚を発生させ、多義的なものを生み出す。
「技術」は物を発生させ、一義的なものを生み出す。
「技術」だけがもの作りを支えているのではない。
そこには「技」という大きな要素が介在している。
感覚が発生することでもの作りは面白くなる。
「技」を追求していくことで「技術」も進化する。
「技」は感覚領域のものだから簡単にまねすることは出来ない。
「技術」だけなら人間はいらない。
「技」を用いるから効率を超えた面白さが訪れる。
感覚の介在が三つ目の「足」の役割を果たす。
もっと端的に言うと生きてるということ自体が「三本目の足」を生み出している。
人が死んでも「技術」は残るし動く。
「技」はそうは行かない。
日本は安心して人作りに励めばいい。
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うまく行く人と行かない人の違い。
それは「観ている世界」の違い。
人の人生や生活や運命の有り様を分つのは結局ここです。
何を観るかでこの世は全く違ったものになる。
「育ち行くものを見つめる眼差し」
これさえあれば多少の波風はあっても結局うまく行く。
PassionはVisionになり、やがてMissionになる。
そうなれば愛が止まらぬ状態が自分に訪れていることに気付くだろう。
この状態を私はハロネコ状態と呼ぶのです。
心と心が繋がるのに言葉はいらない。
何かが響きあって共振し始める。
その共振は心のどこかに次々に内包され、格納され、記憶される。
その記憶はいつでも引き出すことが出来る。
しばらく会っていなくても心が記憶を解放すればすぐに共振が始まる。
心と心が連なっていく。
人間は上手く出来ている。
長男がおたふく風邪になって、
この連休は一歩も外に出られなかった。
今、彼は僕の布団で横になっている。
その長男が僕に尋ねる。
「お父さん、死んだらまた生まれ変わるんでしょう?」
「そうだよ」
「だったらまた僕はお父さんとお母さんの子供に生まれたいな」
僕のこころは動いた。
動いてみて初めて、最近こころが動いていなかったことに気付いた。
こころが動くと人間は何でも出来る。
君らのためなら何でも出来る。
こころが動くと身体も感覚もすべてが発動し始める。
必ずやり遂げる。
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