自然に起こることしか力が無い。
自然に起こるようにするためには技がいる。
これが高度に多様化したのが人間の世界。
事実にだけ目を向ければ後は特に考えなくてもいい。
「酒に酔っぱらった」が事実。
「酒に酔っぱらってよけいなことしたから好きな女性にどん引きされたと思って悩んでいる」が真実。
「事実」は実際に起きたこと。
「真実」は強い思い込みで「事実」として反復されて想起される感覚。
事実だけを認識し、
よりよく生きるために「真実」は創造していいのだということを知れば、
「自然に起こること」が変わってくる。
現象と自分とは不可分の関係なのだから。
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「もの」という言葉は面白い。
僕が考えるに「もの」には三様態ある。
物=物質、
者=人
モノ=感覚、情報
これらは同じ「もの」の異なった姿。
近代はこれを分離して捉えるようになってしまったようだ。
現代人の心の問題もこの「分離」から生まれているのかもしれない。
ハヤブサが帰還した時、みんなが感動した。
言うまでもなくハヤブサは「物」である。
だけどみんなそこにけなげに働く決して諦めない「人」を観た。
我々の中に神聖な「感覚」を発生させた。
ハヤブサは最後、光になった。
そこに魂の実在を観た人は多いだろう。
我々の魂が何かと共振すると物にも魂を見出すことが出来る。
魂でこの宇宙は満たされている。
気がつくと、20代の頃になりたいと思っていたような生活になっている。
いろいろな場所を飛び回り、仲間と新しい仕事を作る。
給料取りの精神から逃れて、狩猟系の感性をフル稼働して生きる。
何故こうなったのか?
自分のやりたいことだけをやってきた。
そして自分のやりたいことをやるためには、
苦しいことや苦手なことも厭わなかった。
ということがあるのだと思う。
もちろんまだやらなければならないことは沢山ある。
でもある意味、毎日満足して生きている。
目の前にあることを全力発揮でこなしていく。
今、やっていることはすべて僕の天職なのだ。
生きていれば嫌なことも哀しいことも沢山起こるけれど、
そこで引っかかっている暇はない。
僕には終わりがあるかのだら。
終わりがあるということは素晴らしいことだ。
とてつもなく哀しくて恐ろしいけれど素晴らしい。
大きな円盤が廻るように僕は移動していく。
この世界の人達から僕が見えなくなる日まで、
僕は全力発揮して生きていける。
終わりがあるということは本当に素晴らしい。
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