はっきりと根拠があるものよりも「何となく」の方が力を持つ。
事実より空想されたものの方が力を持つ。
はっきりと根拠のあるものははっきり意識出来る。
はっきりとしているから力を持つように感じる。
しかし実際は、はっきりしない漠然としたものの方が人を強く支配しているのだ。
潜在意識という計り知れない領域に広がる感覚は言葉にならない「モノ」で占められている。
圧倒的な感覚量に方向性が生まれていることを示すのが、
「何となく」という感覚として認知される。
「何となく」には審判者はいない。
むしろ「何となく」が審判者として振る舞おうとする。
そこでは事実より空想の方が力を持つ。
上手く運べば現実に有効に働く。
しかし逆に働けば教祖のいう通りに殺人さえ厭わなくなる。
例えば政治家を選ぶ場合、彼らや彼らの世界の事実を知ることはほとんど不可能だ。
例え、ジャーナリストが介在したとしても、
そこには予断が必ず入ってくる。
我々がコミュニケーションを行う場合、
「こう見えるからきっとこうだろう」とか
「こういう風にいわれているからきっとこうだろう」とか
「こういうふうにいわれているけれどきっとそうではないだろう」というように
「きっと?」という部分が必ず入り込む。
「きっと?だろう」で世界は出来ている。
これは人間の限界であるとともに特徴でもある。
限界を有効に使う手段をそろそろ考え出した方がいい。
コミュニケーションを激変させる「新しい言語の時代」はもうやって来ているのだから。
人の空想を制する者が世界を制する。