ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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違う

「上品」と「上品ぶった」は違う。
「格式」と「格式張った」は違う。

実力の有無にそれは起因する。
実力は一朝一夕に身に付くものではない。

弱い人間はたとえセンスがあっても、それを力強くのばすチャンスをいつも逃してしまう。
 
「弱い男」に捕まると女は無駄に苦労する。
勉強にはなるかも知れないけど、繰り返さない方がいい。

弱い男の特徴は物事に対して「バカにしたような態度」をとることだ。
自分が弱いから、物事の「いいところ」を見出すことができない。
だから結局物事が見えないし、偉そうな事を言う割には自立できない。

もちろん実力の主要因は強さだけではない。
弱さを力に変換している人たちやグループはたくさんいる。

うまく行かない時にはうまく行かない理由がある。
それを真摯に見つめる態度を身につける事が何かを成し遂げる時の基本中の基本だろう。

しかし、
自己を真摯に見つめる態度と自己を卑下することを一緒にしてはならない。
それは「違う」のだ。

「格式」と「格式張った」を分けるもの、
「上品」と「上品ぶった」を分けるものは
「too much」の有無という事だろう。

「too much」は技として使う場合、もしくはそれを使う主体に愛嬌がある場合は外部に対しては有効だ。

しかし「too much」を自己に対して与え続けると困ったことになる。
ここで鵜飼いの話を思い出してほしい。


「too much」に強く鵜を操れば舟はバランスを崩すだろう。
「too much」に弱く鵜を操っても舟はバランスを崩すだろう。

バランスを崩す事を技として使うなら次の動きにつなげることが出来るが、
そうでなければ、ひっくり返るだけだ。

ここで迷惑なのは、ひっくり返っている事に気付いていない人たちだ。
自力で気付いてもらうしかないのだが。

違いに。



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榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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