ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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ニッポンポレポレ

社会は縦割り、学校は横割り。
個人は孤立化し、孤独化し、断絶しているように見える。
しかしそれは「見える」というだけに過ぎない。

それは人の意識が産み出しているものだ。
その気になればそんなものは跡形もなく目の前から消し去ることが出来る。

風や鳥に国境線は関係ない。
風や鳥はパスポート無しでどこにでも行く。
それらの行き先を規定するのは自然条件だけだ。

昔の人は絶望すると自らの命を絶った。
今の人は他人を無差別に巻き込む。
そういった形で孤立を乗り越えようとしているように見える。

孤立や孤独を乗り越えるのに他人を殺す必要はない。
そもそも人間は完全に孤立することなど出来ない。
大きな誤解だ。
生きていれば、息もする、水も飲む。
空気や水から「孤立」してしまえば人間として存在出来ない。
つまり死んでしまう。

「そんな話をしているのではない、要は他者とのコミュニケーションの不在を言っているのだ」という人もいるだろう。

そういう人は自分なりの予定調和的な「コミュニケーションの型」にこだわり過ぎているのではないだろうか?

だからその型から外れたら「コミュニケーションの不在」ということになってしまう。

僕の経験上、それは「コミュニケーションの不在」などといったような問題ではないような気がする。


例えば海外に行くと(そもそも言葉の問題もあるが)普段、無意識に使っている「コミュニケーションの型」が全く通用しないことがほとんだ。物事に対する感じ方も違うし、習慣も違う。

まさに孤立化だ。
そこから抜け出す道はただひとつ、自分の習慣的な「コミュニケーションの型」をずらさせていくということだろう。

僕がケニアに行き始めた頃、いつもイライラさせられた。
物事の進み方が異常に遅く感じられる。例えば、短く切った鉄筋が必要だとする。日本なら町の鉄工所を見つければ注文通りのものがあっという間に出来上がる。ところがかの国ではそうはいかない。信じられない理由によりそれは限りなく遅延していく。

また、ある時スプレーのペンキを買おうとする。日本なら簡単だ。ペンキ屋さんかホームセンターに行けばすぐ手に入る。ところがかの国では物事はそう簡単に運ばない。缶とスプレーが違う店で売っていたりする。理由は分からない。そこでみんなで手分けすることになる。そうするとたいてい何人かは全く違ったものを手に持って帰って来る。ヘアスプレーを持って来たりする。そんなこんなで異常に時間がかかる。イライラする。僕は孤立化していく。

でも僕は自殺もしないし人も殺さない。
ではどうするのかって?

最後は笑うしかないのです。
僕が笑うとスタッフも笑い出す。
すると孤立の再生産が終わる。

「ペンキのスプレーは諦めよう、何か他のもので代用出来ないか考えよう」

こういった境地をかの国では「ポレポレ」と呼ぶ。

それはフランス語の「セ・ラ・ヴィ」をラスタマン・ヴァイヴレーション化したものと考えていただいたらいいだろう。

「ポレポレ」に孤立もへったくれもあったもんじゃない。
これはケニアで学んだこと。

居場所を変えれば自分を取り巻くものも変わる。
ものの見方が変われば自分が驚く程豊かな可能性の中に投げ込まれていることに気付くことも出来る。

日本の場合、コミュニケーションの不在より「ポレポレ」の不在の方が重要課題のような気がする。


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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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