ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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伝わるもの

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2001年10月の火事からひと月程後の話。
僕はあるミュージシャンから誘われて、横浜市のある商店街のイベントで演奏することになった。火事の時たまたま持って出て、唯一焼け残ったギターを担いで僕は出かけた。

僕はその頃即興演奏しかやっていなかった。
今は自分の作った曲を演奏したり、歌ったりする。でも僕の音楽の源と特徴は「即興性」にあると思っている。
それはその場で自分を通して出てこようとするものにギターの演奏を乗せるという作業だ。

それはある種シャーマニックな体験と言える。
うまくその場にいる人たちに伝わるチャンネルが開かれれば、その場は不思議で生々しい世界となる。
でも「商店街のイベント」というような不特定多数の人たちが集まる場所でそういう状況を生み出せるのかどうか。。。

取りあえず僕は会場に向かった。
そして演奏が始まった。いつものように勝手に身体が動きだし、意識とは別の何かによって僕の中から何かが出ていくのを感じた。
立ち止まってみている人。素通りしていく人。そんないろいろな人を眺めながら、僕は全く違う世界とコンタクトしている。

演奏が止み、ギターを持って下がろうとした時、まっすぐこちらに向かって歩いてくる人が見えた。

その人はいわゆるホームレスに近い身なりをしていた。
彼はまっすぐ僕の方に来てこう言った。「よかった!本当によかった!!」
彼はさらに、そばにいた当時二歳の僕の娘に向かってこう言った。
「お父さんはすごい人なんだぞ!」

最初に断っておくけど僕は自慢している訳ではない。
僕は本当に嬉しかったのだ。

「伝わった。僕を通して出て行ったものがこの人には伝わった。。。」
そのことが実感として僕の身のうちを震えさせる程喜びに満たした。
しかも彼はそのことを素直に僕に「伝えて」くれたのだ。
これこそコミュニケーションのもたらす喜びそのものだ。

感じたものを素直に受け止めて、素直に返す。
その繰り返し。これは愛だ。コミュニケーションは愛なのだ。

彼は日雇い労働の後、ねぐらに帰る途中僕たちの演奏に出くわしたのだろう。
手にはワンカップと食べかけのパンがあった。
彼はそれを僕に渡し、「本当によかった。何て言ったらいいかわかんないけど、これやるから食べてくれ。飲んでくれ」そう言って帰りかけた。しかしすぐにまた戻ってきてポケットから缶コーヒーを出して僕の娘に渡した。
彼は「なんかなかったかな?もうなかったかな?」と自分の服をまさぐっていた。僕は涙が溢れてくるのをこらえながら、「もう十分ですから、本当に十分ですから」と答えるのが精一杯だった。

持たざるものは分かち合う喜びを知っている。
僕もその日暮らし、彼も(おそらく)その日暮らし。
これからもずっとこうでありたい。

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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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