ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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Message

20年くらい前かしら、
不思議な体験をしたことがある。

多分夢なんだと思うけど、
声が聞こえた。
その声は鈴のような響きを持っていた。
世界は優しい光そのものになっていた。
世界はその響きそのものになっていた。

その不思議な「声」は明確なメッセージを持っていた。

「あなたが、今存在するというその計り知れない喜びを知りなさい」


世界はすべてその言葉で満たされていた。
と言うより世界がそのメッセージそのものだった。

やがてその音は静かにゆっくりと去っていった。
そして朝が来た。

夢だったのだと思う。
しかし、たとえ夢だとしても「あれ」はとても特別なものだったのだと思う。

僕がまだ二十代で身体の不調に苦しみ、
引きこもるように暮らしていたときの話だ。


最近出張でホテルで泊まるときなど、
死について考えることがある。

死は終わりではあるけど、それは存在が終わると言うことでない。
存在形態が変わるということなのだ。

昨年末、父が死んでしまったが、
生きていた時よりもっと父を感じるようになった。
それは父のことをよく思い出すようになったとか、父がいつも見守ってくれているように感じるというような話ではない。

父がそういう存在になったということなのだろう。

父が生きていた頃、父の力が必要な時は電話するか会いにいくしかコミュニケーションの取りようが無かった。

しかし今は言葉や意識を超えたところでいつも繋がっているような感じがするのだ。

現に今この時も感じる。

マトリックスという映画で「始まりのあるものには終わりがある」というようなことを言っていたけど、西洋人の感覚を哀れに思ったものだ。

この世にあるものも無いものもすべて、始まりもなければ終わりも無い。
今の我々のフォーカスしている存在形態では時間は過去から未来に流れているように感じるけれど、本当は時間も偏在している。

だから我々は文字通り「すべて」と繋がっているのだ。

だから願いは必ず叶うのです。
繋がりが発動して動き出すから。
というより願いがかなった状態というのは、
すでにどこかに「在る」のだから。

そこに行けばいいだけなんだと思う。

「じゃあ、祈りは通じるということですね」と聞かれたら、こう答えると思う。

「そうです全身全霊で祈れば叶います。ただし全身全霊の祈りとは行動することです」

生きているうちにこの世で出来ることは限られている。
すでに私たちは存在している。
これ以上の奇跡をどう望めというのだ。
生ききりなさい。

とあのMessageは今も僕に伝え続けてくれている。
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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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