
価値感が突然変わってしまうことがある。
10年ほど前、ミッシャ・メンゲルベルグというピアニストの演奏を見に行った。
彼はヨーロッパ・フリー・ジャズ界の中心的存在として独自の世界を切り開いてきた高名なアーティストなのだが、当時の僕はその名前さえ知らず、ただ「有名なジャズピアニスト」らしいというので、友人に誘われるままなんとなく出かけていったのだった。
会場に到着して驚いた。
そこは普段は障害者の人たちの作業所として使われている場所で、当時の僕の持っていたコンサート会場のイメージとは大きくかけ離れた場所だった。
しかも演奏が行われる場所はその施設にある食堂で、使用するピアノは近所の人から借りてきたアップライトピアノだという。
そしてその「食堂」に入ってさらに驚いた。
観客のほとんどが重度の障害を持つ人達で、彼らの出す嬌声やうめき声、そして彼らに取り付けられた機械の出す音はかなりのもので、「音楽鑑賞」にふさわしい場所とは言いがたかった。
「本当にここでやるの?」
何かの間違いではないかと思いたいのだが、目の前には近所から運ばれてきたというアップライトピアノが置かれている。
そしてミッシャがやってきた。
彼は会場の状況に驚く風もなく、我々に会釈すると演奏体制に入った。
それから起こったことを僕は一生忘れないだろう。
最初の一音がなると会場が一変した。
今まで騒音にしか聞こえなかった音達はミッシャの奏でる音と不可分のものとなり、その場にあるすべての音はかけがえのない生命の奏でる聖なる音としてその真の姿を現しはじめた。うめき声は歌声に変わり、ひっきりなしに動く機械の音は通奏音を奏でる楽器に変わった。そこにあるすべての音が生き生きとした魂を持っていた。すべてが見事に関係し調和している。
いったい何が起こったのだろうか?
驚きと喜びと興奮に包まれながら、僕は新しい地平が静かに開かれていくのを眺めていた。
「音楽はこう聴くもの」「音楽はこういうもの」と無意識に了解して来たものはもろくも崩れ、しかもとても嬉しいという非常に不思議な感覚に包まれたことを思い出す。
それから時々街の音達がアンサンブルとして聞こえてくることがある。それはもちろんメロディーもリズムも持たないものだけど僕には明確に「音楽」として聞こえるのだ。
この経験はもちろん音楽に対する感覚だけを変えたのではなかった。
それは時間をかけながら今も僕を前に進める流れの源となっている。
