
13歳の時に始めてギターを手にした。高校生の時にバンドを、その時はロックをやっていて、ロックでスターになって、有名になって、暮らしていこうってふうに思っていたんだよね。能天気に。それで、実際に19歳の時にプロデビューして、でも21歳の時に引退しちゃったんだよね。それは、高校3年生の時に、ひどい交通事故を単車でやってしまって。首をその時やっちゃったのね。その時はまあ、何とか大丈夫だったんだけれども、20歳くらいから体の様子が変わってきたの。ギターを弾けるとか、そういう状態じゃなくなってきちゃったんだよね。
そんなこともあって、音楽活動は21歳の時には停止しちゃったんだ。
デビューは、歌でデビューしたんだ。しかも、レゲエを歌わなきゃいけなくって。ある有名なスタジオミュージシャンが集まって、沖縄の久米島ってところに行ってね、コンサートをやるっていう計画をしてたみたいなんだよね。ところが、ボーカルで行くはずだった人が行けなくなっちゃて、急遽誰かいないかっていうことで、それでたまたま僕のところに来て、それで行ったのが結局この道に入るきっかけになったわけなんだよね。
沖縄の時に、それは今でも忘れられない体験で、今までは音楽のメッセージとか、そういうことはあまり気にしない、っていうのは変だけれど、とにかくかっこよければいいと。かっこいいビートで、かっこいいサウンドで、とにかくそのノリって言うのが好きでやってたんだけど。ボブ・マーレーっていう人の歌を歌わされることになったの。
今まではレッド・ツェッペリンとか、ディープ・パープルとか、そういうのばかり歌っていた人間が突然ボブ・マーレーったって、全然違うじゃない。それで、歌詞覚えなきゃいけないんで、レコード買って、最初は、何だ、変な音頭みたいな、なんだろうなレゲエっていう感じだったんだけれど、ずうっと聴いてくうちに、今までの音楽とは違う領域っていうものが他にもあるっていうきっかけを教えてもらったって感じだった。
たまたま、ボブ・マーレーは、平和に愛し合って生きようってことをいっていた人で、僕が行った久米島っていうのは、後で聴いたんだけど、太平洋戦争の時に玉砕があった島で※。その時にね、19歳で、大学も行ってたんだけれども、何ていうか、とんとん拍子にプロの道に乗っていったわけだよね。有名なスタジオミュージシャン達といっしょにプレイしてるわけだから、今まで学生とプレイしていたのが急にごーんとレベルが上がって、僕の10も20も年上の人たちだから全くの大人だしね。自分が子供だったっていうのもあるけど、ものすごいはしゃいでたんだよね。
沖縄だし、女の子はみんな水着だし。だけど、ある時自分の顔が変わるくらいの事件があって。久米島には3週間くらいいたんだけどね、地元の人たちに「洞窟行かないか?」っていわれて、連れて行ってもらったの。
すり鉢式の洞窟でね、その底の部分の横に穴があるくらいの小さい洞窟で、階段で降りてくんだけど、階段のところにさ、ハブかなんか檻に入れちゃっててさ、ワイルドな感じだったんだけど。降りていって、洞窟に着いたんだよね。それでもう全然能天気だから、ほんとにただはしゃぐだけで行ってたんだけど、ふと洞窟の壁が黒いことに気がついたわけ。なんだろなこれ?って思って手ですうーって取ってみたわけ。煤なんだよ。その時にね、凄く不思議なことが起こってね。
何ていうか、涙腺が壊れたの。涙がぶわーって、止まんないの。ぽろぽろじゃなくて、凄いんだよ。涙腺が壊れたっていう表現しかしようがないんだけども。それでね、そこで何が起こったかが瞬時に分かったの。つまりそこに、島の人たちが逃げ込んだんだよ。でもアメリカ軍がやってきて、火炎放射器で焼き殺しちゃったのよ。その煤がまだ残ってたんだよ。その時にね、何ていうのかな、自分の中で、何で自分が生きているのかっていうことが、頭をもたげてきたわけ。それまでは、とにかく速くスターになって、お金持ちになって、いい車に乗って、きれいなお姉さんばっかり周りにはべらして、っていうことしか考えてなかったんだけれども、そういうものに対する価値観が変わってしまったのね。その時全てが変わったんじゃなくて、それをきっかけにだんだんだんだん時間をかけて変わってきたと思うんだけど。
沖縄で覚えてるのはそのことだけ。星が綺麗だったっていうのとかも覚えているけど、あの時のことは今でも忘れられない。
両親が小さい会社をやっていたんだ。僕は一人っ子だから普通は跡取りだよね。でも、どうもそれは自分は向いてないと思っているわけ。そのことで凄く苦しんだわけ。だって、僕が継がないと会社が終わってしまうでしょ。そうすると従業員どうするとか、そんなことまで考えて、大変だったんだよね、20代は。
体のこともあって。今思うと、沖縄の出来事の前までは、自分は音楽が表している一部のものにしか目が行ってなかった感じがする。きらびやかなもの、人よりも目立つもの、っていう感じかな。かっこいいっていうことだよね。でもその愚かさっていうものに気付いてしまったわけ。ただ不良のフリして、自分をかっこいいと思ってるっていう感じでいたんだけど、やっぱりそれはいつまでも続かないよね。ほんとうに困っちゃって、どうしたらいいか。でも音楽は続けたい気がするわけ。だけど、ギターも弾けなくなっちゃったし、歌があるっていっても、なんか、うまく行かないんだよね。結局またやり始めるのに、10年ぐらいかかってるわけだよね。
10年間は、ギターは持ってたから、練習もするし、曲作ったりはしてるんだけど、最後まで生み出せないんだよね。いっぱい迷ってるわけ。自分の中で。音楽はやりたいんだけど、生活はどうする、っていうことがあって、家継ぐか、とかさ、勉強して資格とっちゃおうかとか、真剣に考えるんだけども、それは何で考えるかっていうと、人から見た自分っていうのを常に前提に置いて生活していたから。例えば、弁護士になったらかっこいいだろうとか、大学の先生だったらかっこいいだろうとか。自分の体が調子悪くなったのもあるんで、少しでもステータスのあることをやらなきゃいけない、って自分に課していたんだよね。でも、ほんとうはやりたいって思っていないことだから、やっぱりそれは実現しないわけ。絶対に。
本格的に音楽を始めたのは結婚してから。33歳の時か。それまでは色々生き迷ってたなぁ。でもそこで氷解した問題があって、どんな音楽をやりたいんだ?っていうことになってきて。その時にはクラシックとか、ジャズとか、色んな音楽を聴くようになっていて。そうするとこう、自分がこれが音楽だってやってきたものが、実はほんとうに狭い世界のものでしかなくて、たまたま資本主義の商品として乗っかってたからそれが力強いものに感じていたんだけれども、でも、例えばアフリカの民俗音楽を聴いたときに、村で、誰かが一声かけると、それに誰かが一声返して、そうするとそれに誰かが太鼓を入れて、ってなって、みんなで竹たたいてってなると、物凄い何かが生れてくるのね。その自然発生してくる力強さっていうのを、こういうものを実際やりたいんじゃないかなっていう思いが、出てきたんだよね。
ボブ・マーレーはいい。ジョン・レノンも素晴らしい。だけども、自分には自分の歌がある、ってことに気付くわけよ。だからああいう人たちは、そういうことを気付かせる為にいるんだと思うよ。俺の歌が一番だっていうんじゃなくて。自分の歌を聴いてみよう、って感じだと思うんだよね。自分の歌って言うのは、「自分の内なる声」に置き換えてもいいかもしれないよね。僕はね、それに全部従うことに決めたの。全部。かなり勇気いったけどね。生活どうするんだ?っていうのもあるし。それは現代の人に共通した、恐怖感だよね。たいしたこと無いんだよ、ほんとうは。たいした事ないよ。ほんとに。
こんな生活をしたいっていう生活が、本当に望んだ生活なのか。こういう家建てて、こういう車乗って、こういう服着て、そういうスタイルを求めて、そこにはめ込むと、ある種安心感があるから、それが欲しいわけ。どうしても。ところが、時々スタイルにはまらない人がいるんだよね。もとからスタイルにはまれないっていう人が。
例えば俺もそうだけども。そうすると、非常に苦しくなる。ああしなきゃいけないんじゃないかとか、こうしなきゃいけないんじゃないかとか、そう思うわけよ。でも結局は自分の内なる声が勝つんだよね。で、それに従っていくと、こうなっちゃったわけ。不思議なもんでね。でもそれがなかったわけ。20代のミュージシャンの頃は。自然発生じゃない。それはかっこいいかもしれない。
でも実際やってみな。50年経ってテレビで自分の歌ってる姿観て、その時でもかっこいいって思えるか?って考えた時に、思えないと思った。なんでかっていうと、そこに演技があるから。自然じゃない、不自然なものがあるってことに気付いたわけ。不自然なことを一生追いかけるのはきつい。絶対きつい。自分に嘘つき続けることでしょ。
だから選んじゃったわけ。でも、それを選んだのは、結婚したおかげ。
普通は結婚したら逆でしょ?ほんとはそうだと思うよ。でもね、僕は28歳の時に、父親の会社に入ったの。それはね、体が言うこと聞かなくなっちゃって。大学出ているんだから、経理でも何でもできるだろって。だから僕は経理もね、社会保険関係もできるんですよ。たたき上げでやったから。もちろん、どこの会社でもできるってわけじゃなくて、その感覚があるんだよね。鍛えたから。
でも、女房と結婚して、ある時女房が俺に向かってね、「竜路さん、会社辞めたら?」っていうんだよ。「何でだ?」って聞いたら、「向いてない」っていうわけ。「辞めて何するんだ」っていったら、「音楽やればいいじゃない」っていうの。怖かったよ。その声聞いて。でも、出来ないって言えないのよ。女房の手前だから。それで、ちょうど父親が、送電線関係の建設会社をやってたんだけど、電力業界自体が、もう全部鉄塔を建てきっちゃったわけよ。
そうすると今度はもう、今までの技術者では仕事がないわけ。そのことを見越して従業員の行き先見つけて、会社をたたんじゃったんだよ。実際はどうにか会社を残したいっていう考えだったんだけど、どこかで転換して、鹿児島帰っちゃった。そしたら今度は一人だ。親もいない。会社もない。それから今までどうやって食いつないできたか、不思議なくらいだよね。覚えてない(笑)。
だから、僕はほら、元気に見えるでしょ?それは、元気なんだよ。実際。人間って元気なんだよ。ま、タイプはあるよ。静かな元気もあるしさ。でも俺もね、20代の頃はさ、こう、クールなのがかっこいいって宣伝されるから、クールなのがかっこいいと思うわけ。何でかっていったら、女の子も「クールな人がいいわよね」っていうから。でも実際は、ある程度の年齢を超えると、顔も何もなくなっちゃうんだよね。そいつの生命力だけなんだよね。優しい人がいいとか良くいうけども、そんな次元を超えてしまうんだよ。結婚したりしてしまうと。
素のままでいる自分と、結婚してくれる人がいたら。時として結婚した相手が、自分のやりたいことのネックになるわけじゃない。でも、それは全然違うわ。ネックになるってことは、その逆もあるわけよ。絶対に表の顔と裏の顔があるんだよ。どっちを見るかだよね。
その後、即興演奏っていうものに触れてね、まあフリージャズとかいわれてるみたいだけど。あ、これなら俺にも出来るんじゃないかと思ったの。弾けなくても、なんかパッションがあれば、できるんじゃないかって思って、やり始めたの。
これで海外のジャズフェスティバルとかにも行ってきたわけ。だから、音楽的なものはだんだん生まれてきたんだよね。最初はどうやってギター弾いたらいいか分からなかったけれど。ロックとかやっていた時よりも、自分を出せは、手が動かなくても何とかなるって、音楽が出てくるようになった。それで復活してきたんだ。
※沖縄戦は昭和20年6月23日で一応終結したことになっている。しかし、久米島や宮古、八重山では6月23日以降も戦争状態が続いていた。
6月24日に米軍が久米島に上陸。 6月27日には久米島の海軍守備隊による連続住民虐殺事件が起きた。隊長の鹿山兵曹長らは、6月27日から8月20日までに住民20人をスパイ嫌疑で殺害した。天皇陛下が終戦詔書の放送を行った8月15日以後の18日に親子3人、20日には親子7人が犠牲になった。
