ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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縦書きの話


日本語は縦書きで読み書きするものだと思う。
しかしこのネットのほとんどが横書きで書いたり読んだりするのが普通になって来てしまった。

政府の文章も横書きになってしまったらしい。
これは本当はよくないんじゃないかと思う。

以前、鼓膜が破れてしまって音がよく聞こえない状況だった時、どうしたことか横書きの日本文を読むのが非常にきつく感じた事があった。不思議なことに同じ横書きでも英語なら別に苦痛を感じない。

こういう身体に余裕がない状況では本来の感覚が研ぎすまされることがあるが、まさにその時の僕がそうで、キーボドで日本語を「打つ」作業が非常に苦痛だったし、なんだか夢の中で流れていく川の水に字を書いているような気分だった。

僕は身体感覚を必要(健康上の理由)に迫られてダン先生から学んで来た。

そのなかで筆を使ったかなりきつい稽古法があって、それをやりながら「縦書き」というのは「日本文化としての身体」と密接不可分の関係にあることを思い知った。

例えば我々は判断は「頭」ですると思っているが、データからだけで判断しかねる場合というのが多々ある。その時「これで行こう」という判断のよりどころはどこにあるのだろう?

結局「なんとなく」としか言いようのないものがその判断の元になるのだが、それを掘り下げていくと身体の中の「軸」の感覚だとか「中心」の感覚というものに行き当たる。

それを作り上げているものは身体の使い方に他ならない。
僕はこの身体の使い方の基準となる「共有された感覚」のことを文化と呼んでいる。

立ち居振る舞い、箸の上げ下げ、茶碗の持ち方、挨拶の仕方等々の中にそれは見いだすことが出来る。
縦書きの日本語というのももちろんその中に入っている。

小さい頃よく母や祖母に「チャンとしなさい」と言われた。
この「チャンとする」ということはどういうことか?

今なら僕は「軸」を崩さず「中心」を出すことが「チャンとする」ことだということを知っている。

縦書きの日本語は「軸」を意識させてくれる。特に筆による縦書は背骨の感覚をはっきりさせる事で成り立つので、この国の深層体育として我々の身体や文化の有り様の醸成に大きな影響を与えて来た。

このような長い時間をかけて形成されて来た「共有感覚」を我々はもっと大事にするべきだと思う。
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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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