
昔すんでいた家から、車で10分程のところにワサビを栽培している処があった。かなり大量の湧き水が湧いているのだ。この季節、僕は毎年ここに螢を見に行くのを楽しみにしていた。
螢の光は不思議な感覚を僕にもたらす。
以前、愛知県の東栄町というところに行った時の話。
その時、僕は、夜の10時位に山の中の道を歩いていた。もちろんその道に街灯などなくて、人家からも遠く離れているので星明かりを頼りに歩くしかなかった。すると、螢が数匹あらわれた。
その螢の光に意識を向けていると、今まで星明かりで辛うじて見えていた道や景色が何も見えなくなってしまった。ただ、その螢の光だけが虚空にユラユラと浮かんで、静かに明滅を続けている。目を他に向けるとまた、まわりの景色が現れて来る。螢に意識を向けるとまわりの景色は消えていき、闇の中に螢の放つ柔らかな光だけが浮かび上がって来る。
そんなことをくり返して遊んでいたら、だんだん妙な心持ちになって来た。なんて言うか、その螢の光が自分の外で光っているとは思えなくなって来たのだ。その光は僕の頭の中で行われている精神活動そのものにも見えるし、誰かからの特別なメッセージを伝えているようにも見えた。僕はその例えようもなく美しい光に託されたメッセージを読み取ろうとして、随分ながいことその場に佇んでいたらしい。ほんの10分位にしか感じなかったけど、実際は2時間以上経っていた。
螢はキレイな水のある処にしか住めない。昔は、僕の住んでいたところにある田んぼにもいた。母の実家の鹿児島にいたっては、それこそ星の数程いた。幼い頃の僕に「あれは星のかけらだよ」と誰かが言ったとしたら、きっと僕は信じただろう。でも今はもう、ほとんど見なくなってしまった。鹿児島でさえ随分減ったんじゃないかと思う。
人は光のあるところに集まるらしい。例えばガソリンスタンドの隣に新しくガソリンスタンドをつくる時は、隣の店より20%から30%位、照明を明るくするらしい。そうすると不思議なことに新しい方の店にお客さんが集まってくるという。新宿や渋谷に人が集まるのも、もしかしたらこの原理かもしれない。人気者のことを「スター」と呼んだりするのもそうだろう。でも何も自分以外のモノにばかり光を見い出すことはない。ちゃんと自分の中にも「光」はあるのだ。それは螢の光のように儚く見えるかも知れないけど、我々は「星のかけら」のはしくれなのだということを思い出させるのには十分な程に美しく、存在感に満ちている。
光は派手で明るければ良いってもんじゃない。もう「まやかし」はうんざりだ。「普通の光」が一番良いに決まってる。みんなが普通に持っている光が一番美しい、と僕は思う。
あの夏、奥三河の山の中で出会った螢とその美しいメッセージは僕にそう語りかけていたのかもしれない。
