ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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大人の始まり




自己嫌悪といのは面白い現象ですね。

僕も以前は激しい自己嫌悪派でした。
自分に対する要求が時期早々もしくは身分不相応に高かったため、いらん苦労を死ぬ程しました。

いつも昔犯した過ちをいろいろ思い返しては、
「ああ、俺はなんてだめなんだ」「ああ、死にたい」などと身悶えていたこと思い出します。

今でも自己嫌悪に陥ることが時々ありますが、以前と違ってずるずるねちねちそいつに関わっている時間がありません。

まぁ年とともに図々しくなったということでしょう。


自己嫌悪は自己顕示と深い関係があるようで、
自己嫌悪は「クヨクヨウジウジ」
自己顕示は「ミテミテホメテ」
とどちらも生きていく上で必要な本能的感覚だと僕は思っています。

自分に対する期待が過剰に高い時期というのは誰にもあるもので、しかもこの時期が幼少期から青年期ぐらいまであるので場合によっては神経がまいっちゃうこともあります。

若い頃は自分に無限の可能性が開かれている(もしくは何の可能性も開かれていない)という強い思いに押しつぶされ気味になります。

何故か?

可能性はなにかしらに「限定」されなければ現実化しないからです。逆に、なにかしら自分を「限定」することが出来れば、何の期待も希望もない人生にも可能性が生まれてきます。ただ無限の可能性をぼんやり見てるだけでは何にも始まりません。

実に不可思議な「限定」の力よ

昔、僕の先生が、「大人になるということは分別がつくということです。分別がつくということは自分の出来ることと出来ないことがはっきりするということです」と言っていた。

「何でも出来そうだからなにも出来ない」と、「何にも出来そうにないから動けない」ということは実は同じことなんだけど、ここに中々気づかない。

「一体何をしたらいいのか分からないんです」
とよく相談されるけど、僕から言わせたら答えは簡単です。

今目の前にあることに集注してください。
「可能性」という言葉に引っかからないで下さい。
それが「限定」することの威力に触れる鍵です。

と一応分別盛りの年齢にさしかかったはず(?)の僕は、今も自分に言い聞かせているのです。

ちなみ僕は「限定」を用いることを始めてから自分の可能性が広がってきました。

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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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