ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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行儀の成り立ち



昔よく祖母や母から「行儀が悪い!」と叱られた。

「行儀って何だろう?」といぶかしむ暇も無く、
それは僕の身体に叩き込まれた。

大人になり、身体教育研究所の稽古会に参加するようになって、
はじめて「行儀」の成り立ちを知ることとなった。

足を組んだり、肘をテーブルに付けたままご飯を食べたら行儀が悪いと言われて来たが、それは何故か?

やって見れば分かるが足を組んだり肘を組んだりしたままものを食べたり飲んだりしたら、感覚が遮断されることに気付く。

行儀が悪いと身体全体で「いただく」という感覚が起きないという事実に稽古中に気付いて愕然としたことがある。

我々の食べ物はすべて植物や動物の生命から成っている。
だから食事は「いただきます」から始まるのだ。
食べ物に感謝し、ありがたくいただくことは、
生命の尊さを実感させるこの上ない習慣となる。
これは究極の安全保障につながっていたはずだ。

行儀が悪いということは生命を軽視しているということと同義だったのではないか。だから祖母や母は僕に「ちゃんとしなさい」とか「行儀が悪い!」とか言い続けてきたのだと思う。

日本人はこの感覚の全体運用というべきものをその身の処し方や生活全般に広げてきた。これは世界に誇るべき伝統だ。

行儀よく食べると食べ過ぎることが少なくなる。
調理にも無駄がなくなる。
これはものを大事にする究極の態度だろう。
「もったいない」という言葉にも実感が伴ってくる。

行儀よくすることは最初のうちは窮屈に感じるが一度その型に入ると、ある種の快感を伴った力が全身に漲ることに気付くだろう。

行儀は衣食住すべての行為、それこそ立ち方、座り方、寝方、歩き方といった人間活動のすべてにわたって威力を発揮するし、その人の存在の有り様を規定してしまう程の力を持つ。

昨今、映画関係者の間で囁かれていることだが、最近の俳優(女優も含めて)達は「立っている」という感じが希薄になってきているらしい。

「キャラが立たない」という言葉があるがこの場合は「存在が立たない」とでも言うのだろうか。。

昔の俳優たちは望遠で撮ってもはっきり主役というのが分かったそうだ。
今はそういった若い俳優がいないのでバストアップ主体になってしまうと、ある映画人が嘆いていた。

存在が立たないということは彼らの「立つ」という行為に感覚の全体運用感が乏しくなっているということなのだろう。

身体感覚を全体運用することが出来なくなってきている人が増えているのは確かなようだ。先日ある女性と話していたら、「最近の男の子は重いものが持てない」と言っていた。僕は重いものが持てないと言うより、重いものを持つための身体運用法を知らないと言った方がいいのではないかと思う。

行儀=身体感覚の全体運用を子供の頃から身につけることは、人生に起こる様々な難関を乗り越える基礎体力を養うことにつながる。それは判断の基準を自らの感覚に求め得る身体を育てることに他ならない。

「お行儀」というようなソフィティケートされた感じではなく、圧倒的な存在感を放つ身体運用を成り立たせる「型」としての行儀。それはその人のバイタリティーを育み、人生を豊かにするだろう。

行儀を身につけることは行儀を崩すことで得られる力をも身につける事になる。これは実はなかなかあなどれない力なのだが、この話をすると長くなるのでまたの機会に譲ります。

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プロフィール

榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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