20歳位の時から身体の不調に見舞われ、
26歳の時に身体教育研究所と出会うまで、
病院を始め、あらゆる民間療法を試して来た。
匂いが全くわからくなり、
強い倦怠感に苛まれ、
強度の頭痛に見舞われる。
それが、割と大丈夫な時とだめな時が交互に来る。
大丈夫な時はなんとか出歩けられるのだが、
だめな時は全く動けない。
最後は右半身の感覚異常まで起こりはじめ、
自分の人生の前途に希望が持てなくなっていた。
それに加えて家庭の事情も僕にとってはきつかった。
父親が建設業を営んでいて、僕が一人っ子ということもあり、
「跡継ぎ」としてのプレッシャーがのしかかってくる。
会社と同じ敷地内に自宅があるものだから、
表に出れば社員と出会う。
出会えば、彼らが無言の非難を僕に浴びせているように感じる。
もちろんただの思い込みなのだが、
自然、人目を避けるようになり。
自己憐憫の日々に耽溺することとなった。
今、思えば信じられないような虚弱さだった。
その生活が身体教育研究所との出会いで激変した。
「なんたって野口整体だ。きっと直してくれる」という甘っちょろい期待は、最初のオリエンテーションで打ち壊された。
ダン先生の「私が野口晴哉の息子だからといって、彼と同じような治療能力があると思ってもらったら迷惑です」「ここでは皆さんに稽古法を伝授するだけです」という言葉に唖然としながらも、最初の稽古の面白さに惹かれ、気がついたらもうすでに18年も通うはめになっていた。
そこでの出来事は他でも書いているので詳しくは書かないが、
ここで身体感覚の稽古をしながら学んだことは、
1、常に自己の中にも他者の中にも「元気なところ」を見いだす能力を身につける。
2、今、目の前にある事に全力発揮する。
3、自分の中に中心を作る。
の三点に集約される。
朝起きて、カレンダーを見たらもう今月も後半に入った事を見て愕然とした。「なんて時間の経つのは早いんだろう!!」
その時、沢山のやらねばならない事が脳裏に浮かんで来た。
資金繰り、映像教育のプログラム作り、バンドのマネージャー探しの件、
映画祭のスタッフ編成及びプログラミング、日韓中共同制作映画のスタッフィング、キャスティング、スケジュールの確定、作曲、録音、宮城の土側溝の田んぼの映像撮影、中国行きのスケジュール,韓国行きのスケジュール、ケニア行きのスケジュール、Rainmaker Projectの現地体制のリニューアル、環境メディアアートフェスティバルのプログラミング、miru eco の模範映像の作成等々等々。。。。
以前の僕ならパニックになり即鬱状態にまっしぐらだったはずだが今はそれが身体が許さない。腹腰にある強靭で強大な充実感がそれを阻むのだ。
僕の中心感覚がそれぞれの課題をさばいていくのが分かる。
自動でやってくれるんだからありがたい。
もちろんそれぞれを知的に操作していく作業はあるのだけど、
まずは手綱をがっしりと引き寄せる事からそれは始まるのだ。
よく意識改革というけれど僕は「感覚改革」こそ目指すべきものだと思う。
「ポジティヴシンキング」を身につけようとしても思い込みだけでは本当に前向きな方向に進まない。20代の頃イメージトレーニングを散々やったが、全く効果がなかった。
「身体の感覚が変わらなければ意識は変わり様が無い」という事実を知る事からすべては始まった。それは知識ではなく感覚として、稽古を通じ僕の中に形成された哲学だ。そしてその稽古は稽古場の中だけでなく、生活全般に広がっていくことになった。
悩んでいる暇はない、「次、ハイ次、次」という具合にとっととさばいていくのだ。
自己憐憫できない身体。
落ち込めない身体。
悩めない身体。
を僕は歓迎する
そして
悲しみを受け止める身体。
喜びを分ちあう身体。
怒りにとらわれすぎない身体。
を僕は言祝ぎたいと思う。
