チャールズ・ダーウィン(1809〜1882)
頑にこだわることが美しい場合もある、醜い場合もある。
これはあらゆる事象に言えるのではないであろうか?
金融危機になった。
だから職を失った。
もうだめだ。
本当にそうであろうか?
僕にはそう思えない。
農業や林業にはまだまだ可能性がある。
ということを先日の山形県の金山町で思い知った。
そこに住む栗田和則さんに会ってお話を伺ううちに、
自分の中で凝り固まりそうになっていたものが溶け出してしまった。
減反政策と林業の不振に喘ぎ、離村していく人達を見送りながら、
栗田さんは次々と新しい手を打ち出し、
生き延びて来た。
「また環境が変わったら、何か対応します」
と淡々と語る氏の言葉に僕の中が動いた。
氏のことをもっと知りたければ「十三戸のムラ輝く」という本を読んでいただきたい。
僕も栗田さんとは比べるべくもないが、
なんとか生き延びて来た。
それはやはり身体教育研究所での稽古が効いているのだと思う。
何かにとらわれずに流されずにただ「乗る」ということ。
ただ乗ればいいし、それ以外に出来るわけもない。
そういったものとぴったりひとつになることばかりをやってきた。
そうすると道はいつも開かれて来た。
最初は不思議だったが、今はそれが当たり前になって来た。
すべての形容詞は「虚」と捉えることができる。
「実」は「虚」でしか表現できないという性質を持つ。
「実」は己のみが感覚出来るものなのだ。
「実」は無限に変化しながら永久に変化しない。
己のみが感覚出来るものを他者に伝えることは困難を極める。
だからこそ、この三次元では「虚」が生きてくるのだ。
しかし「虚」だけにとらわれるとおかしくなる。
金融しかり、メディアしかりだ
形容詞はあくまでも形容詞だということさえ忘れなければ、
変化に対応することにびくびくすることはない。
またびくびくすることを拒否することもない。
限界や限定、困難といったものは人を次の次元に押し進める。
虚実を生かす術はもっと見直されていいと思う。
目的はただひとつ。
生き延びること。
