ケダモノのすすめ
内なる野性にしたがい日々を生きる男の独り言

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薪割り

昨日薪割りをした。

しかしただの薪割りではない。
古武術家の甲野善紀先生の指導で「鉈」「斧」などの刃物を用いた身体運用法を学ぶ貴重な機会を与えられたのだ。

甲野先生はダン先生の盟友で、僕も何度か稽古場でお見かけすることはあったが、実際に親しく接っしていただくのはこれが初めてだった。

甲野先生のほれぼれするような動きを目の当たりにして、
鉈や斧が何故このような形になっているのかがはっきり観えてくる。

身体の延長としての道具の姿とその道具の扱いを通じて身体の中に節度を育てて行く過程。

それは民俗学と文化人類学と人間工学と歴史学を同時に修得しているような不可思議な体験だった。

身体運用法はその感覚の追求が要になる。
「感覚」といってもこれほどはっきりしないものはない。
これを伝えるのは至難の極みだとつくづく思う。

言葉で伝えるのがとにかく難しい。
相手が生き物だから機械操作のマニュアルの文章のようにそれを読めば誰でも分かるというようなものではない。

例えば「引き絞る」という言葉も人によっては異なった感覚を指す言葉になる。これが伝統技能の伝達の難しさになっているのだが、この伝承の過程まで洗練されているのが日本文化の面白さだったりする。

鉈を扱う時、
「右胸が落ちて行く過程に鉈を乗せるとスムーズに動作が出来る」
と甲野先生が言う。

「右胸が落ちて行く」と言われてもそれって何?となるのが一般的かもしれない。しかし、そこにいたほとんどの人が内観的な身体操作の経験者だったので、かろうじて共有された言語感覚を用いて無言の「行」が進んで行く。

言葉は体験を通じてしか共有することが出来ない。
しかもそれは永久に不完全なものなのかもしれない。
しかしだからこそ人は集うことが出来るのだ。
その孤独だけが確実に共有されたものなのだから。。

普段、振り回すことのない斧も「型」に入ることで以外に楽に扱えることを知った。

いやぁ、道具というのは本当によく出来ている。
長い年月を掛けて培われた「機能美」。
それは仕事するだけでなく、扱う者の感覚をはっきりさせる。
まさに「道」が「具わる」ものだと実感する。

自然と共に暮らす人々がその道具を用い働く時、何故にあれほどまでに寡黙で美しいのかが分かる気がした。

それはパソコンを何万年いじっていても生み出されることのない身体的充実感。

人は「道具」とともにある生き方を選ぶべきなのかも知れない。

何の抵抗も無く、まっぷたつに割れた時の快感。
僕の身体の中にあるわだかまりも一瞬で消滅してしまう。
薪割り凄い!!
これは本当に身体に良いね(笑)
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榎田竜路

Author:榎田竜路
Musician、Glocal Media Producer、真荷舟、Earth Voice Project代表社員、NPO横浜アートプロジェクト理事長、NPO映像情報士協会理事長、北京電影学院客員教授、Rainmaker Project代表、身体感覚技法追求。「野生と感性と知性を一つにして地球の未来に貢献します」

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